第122回研究談話会 平成19年6月23日・藤女子大学
9・11以降のアメリカ社会の文化変容――その可能性と兆候
発表者: 伊藤 千晶 (北海道大学大学院)
要旨
発表の前半は、9・11以降の米国社会の分析を、Barry Glassner の提唱する「恐怖の文化」と、Disney 社によって開発された Celebration という郊外地の二つの事例を中心に述べました。人々の間に実際にある以上の恐怖を水増しし、煽り立てることで政策者の意向に沿わせていく「恐怖の文化」のプロセスは、9・11以降の米国の姿と非常に合致します。米国内に蔓延する恐怖は、セキュリティへの過剰な関心へと人々を向かわせます。Disney 社によるユートピアの実現を試みた Celebration が実は不可視の gated community に過ぎず、排他的な空間であり従来型の郊外のもつ病理を内包しているという事について説明しました。これらの事例からは9・11以降の米国社会において異質な存在の排除が顕著になっているという変化が窺えるのではないか、というのが前半部分の結論でした。しかし、米国におけるそうした異質な存在の捏造や排除は、セイラムの魔女狩りの時から繰り返しずっと行われているのであり、むしろアメリカは本質的には変わっていないと捉えるべきであるというご意見を多数賜り、思考・発想の転換の必要性に気づく大きなきっかけとなりました。また統計データの収集や、冷戦以後の世界情勢に対する分析の必要性についても気づくことが出来ました。
後半部分は、異質なものを排除しようとする米国の現状がハリウッド映画にどのように表象されているかという事を、SF映画における善悪二分法や、9・11以降顕著であるイスラモフォリアを描いている映画などを例に述べてゆきました。しかしながらこの点についても、二分法は9・11以前からハリウッド映画の中で常套句として使われているものであるという指摘をいただきました。またイスラモフォリアが描かれている映画は単に米国の現状を反映しているというだけではなく、米国の暗部を批判的に表象しているという点を踏まえるべきである、というご意見もたいへん貴重なものとして伺いました。
この様な指摘を頂いたことで、自分の論考の中で曖昧だった部分や、未整理の部分に気づくことになり、今後取り組むべき作業がいっそう明確化され一歩先へ進むことの出来る大きな契機となりました。また、談話会後の懇親会でも、有益な参考文献や映像資料を教えていただいたり、研究に対する取り組み方への有意義なお話を伺う機会となり、今後の研究活動の大きな励みとなりました。貴重なご助言をくださった方々に厚くお礼申し上げます。
報告者: 中野 秀豊 (北海道八雲高等学校)
報告
発表者の伊藤千晶氏は「9・11以降のアメリカ社会の文化変容――その可能性と兆候」と題して、アメリカ同時多発テロ事件以降、アメリカ社会に起こったとされる深刻な文化の変化を、「恐怖の文化」をキーワードにし、メディア・コントロールや、郊外に見られるゲーテッド・コミュニティ、セキュリティに対するアメリカ市民の過剰な意識、現在のアメリカ映画の方向性などから多岐にわたって論じられました。
質疑応答では、伊藤氏が論じた文化変容は、果たしてアメリカ同時多発テロ事件によってもたらされたものなのか、という点に大きな関心が集まりました。文化変容と考えられているものは、9・11以前から既に兆しがあったのではないか。アメリカ文化は9・11の前後において、根本的なところでは何も変わっていないのではないかという意見が挙がりました。また、恐怖を作りあげて、他者を排除することは、遡ると17世紀のセイラムの魔女狩りから行なわれているもので、「恐怖の文化」は、一連のテロ事件が生み出したものではなく、アメリカの歴史において脈々と続いているものではないかとの指摘もありました。
個人的な意見としては、文化変容とは、ある文化の固有性が揺すぶられることであると定義をすると、伊藤氏の発表では、テロ事件の前後で何がどのように変化したのか、具体的に説明する必要があるように思われました。テロ事件によって現われた、アメリカ市民のナーバスな感情だけでは、文化の変容を十分に証明することができません。また、2001年に起きたテロ事件からおよそ6年が経過していますので、現在のアメリカ市民の心的状況も説明されると、より深みが増すのではないかと思います。
今回の研究から得られた新知見を、どうすればより説得力をもって証明することができるか、多くの意見の開陳があり、さらに論旨のまとめ方にいたるまで、若い初学者にとっても非常に有益なものでした。伊藤氏の発表は、メディア論から映像文化論まで幅広く横断する、大変に意欲的なもので、今回の成果を基に、さらに高いものへと繋げてゆかれることを期待したいと思います。