第124回研究談話会  平成19年9月29日・藤女子大学

   

英米ふたつのテッド・ヒューズ像――英国の視点を中心として

   

      発表者: 熊谷 ユリヤ (札幌科大学)

   

      報告者: 松田 寿一  (武蔵女子短期大学)


 

報告


  本発表は熊谷氏が客員研究員としてケンブリッジ大学に滞在した2005年4月から翌3月までに行われたイギリスの現代詩人や伝記作家らへのインタヴューや新たに入手した資料の分析などを通して、それまで氏自身も抱いていたというテッド・ヒューズ (Ted Hughes 1930-1998) 像に新たな光をあてるとともに、ヒューズとシルヴィア・プラス (Sylvia Plath 1932-63) の関係について、「文化・価値観の摩擦、異文化適応や異文化コミュニケーションの視点」からアプローチする試みである。
 氏によれば、The Hawk in the Rain (1957) によって優れた新鋭詩人として認められたものの、その後のヒューズのアメリカにおける評価はそれほど高くはなかった。とりわけプラスの死後、Birthday Letters (1998) 出版までは一部の作品や詩集を除いて注目されることはなく、取り上げられたとしてもプラスを死に至らしめた不実な夫、「日記を焼いて証拠を隠滅し、Ariel (1965) の作品順を変え、自殺が必然であるように」編集した卑劣な男といった反ヒューズ (Anti-Hughes) 的視点からなされる傾向が強かった。実際、ヒューズがアメリカのフェミニストらによる厳しい批判に晒されていたことはよく知られるところである。そうした反ヒューズ像を生み出した誘因はプラスが残した作品や日記からのやや一面的な解釈、これまでにアメリカ側で出版された伝記の問題、ヒューズの作品世界に対する偏狭な理解によって生み出された暴力を礼賛する詩人といったイメージの流布などである。
 一方、イギリスにおけるヒューズ評の多くはヒューズ擁護 (Pro-Hughes)、もしくは中立の立場に基づく。氏が取材したイギリス詩人たちにとってヒューズは、「(イギリスで)最も尊敬されている現代詩人の一人」、「同世代で最も優れた詩人」である。また「詩作品のみならず、児童文学者、劇作家として、さらにロシア・東欧をはじめとする大陸ヨーロッパの詩・詩劇の翻訳や詩人招聘により、英国に於ける詩の新たな国際化に貢献した功績者」でもある。ヒューズは「アメリカの批評家の被害者、あるいは英米の文化・価値観の相違の被害者」とも考えられており、近年はヒューズを直接知る友人イレイヌ・ファィンスタインをはじめとして、ヒューズ擁護、あるいはより公正な姿勢を貫く伝記が出版されている。またプラスとの関係においてもイギリスでは、「ヒューズの文学的功績を語る際にプラスとの不幸な結婚にはふれないという態度も珍しくなくなっている」という。
 このように氏は「英米ふたつのテッド・ヒューズ像」を対照させた後、ヒューズとプラスの年表(タイムライン)を詳細に辿りながら、「文化・価値観の摩擦、異文化適応や異文化コミュニケーションの視点」から彼らの関係の考察を進める。アメリカ人のプラスにとって似て非なるイギリス文化への導入者・仲介者としての役割を担うヒューズ、一方でプラスという存在にアメリカ的価値の体現を見出すヒューズ、異文化適合のための互いの努力と甲斐なく精神的な摩擦を繰り返す二人の姿がさまざまなエピソードや詩の引用を交えて語られ、発表は終えられた。質疑の中で氏は、「現地(二人が出会ったケンブリッジ)へ赴くことで、それぞれの詩人の作品に対する見方が変わった」こと、「伝記的仕事というのは軽蔑されるかもしれないが、二人の場合はどうしても必要であって、誰かがやらなければならない」と語るファインスタインの言葉などを付言した。
 以上のように本発表の意義は伝記的事実の究明という困難を踏まえた上で、ヒューズに対する公正かつ基本的な資料への視座を提供すると同時に、作品理解の背景としての異文化摩擦などの観点を導入した点にあろう。またイギリス現代詩人へのインタヴューを含めた現地取材の成果の一部が紹介されたことも大変貴重であった。
 *引用部分は熊谷氏の発表要旨(事前配布)・発言(当日)、ハンドアウト(当日配布)からの抜粋・要約によります。



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