第128回研究談話会 平成20年4月26日・藤女子大学
アメリカの自然、イギリスの想像力――児童文学を通してみるふたつの国
発表者: 沢辺 裕子 (北海道武蔵女子短期大学)
要旨
アメリカの古典的な児童文学には圧倒的に写実的な物語が多い。古典作品を考えるかぎり、イギリスには数多くのファンタジーがあるが、アメリカでは『オズの魔法使い』くらいしか思い浮かばない。「架空の不思議のかわりに、新大陸には自然の不思議があったから」という批評家の言葉を手がかりに、その傾向をみてゆく。
しかしながら、童話の国、妖精の国とよばれるイギリスと、自然の驚異にみちた新大陸アメリカの違いにばかり焦点をあてるのではなく、ふたつの国の児童文学がもつ共通点にも注目する。例えば、主人公は孤児であることが多いこと、登場人物の子どもたちはどんな状況にあっても冷静さを失わないこと、そして未知の世界へと子どもが足を踏み入れる物語が多いことなど。また、アメリカが未知の世界ではなくなった後のファンタジーの台頭にも目を向ける。
報告者: 西 真木子 (札幌学院大学)
報告
今回の発表において沢辺氏は、「アメリカの自然」をキーワードとし、英米児童文学から代表的な作品を引用し、アメリカとイギリスの児童文学作品を比較検討した。児童文学作品にみられる英米の相違点と共通点をそれぞれ提示し、さらに近年におけるアメリカ児童文学の新しい傾向について触れられた。
まず沢辺氏は、児童文学作品に見られるアメリカとイギリスの相違点として、アメリカにおいてイギリスより圧倒的にファンタジーが少ない点に注目した。その違いを生んだ要因のひとつとして、想像の世界に匹敵するような自然の驚異がアメリカに存在することが挙げられるという。例えば『トム・ソーヤの冒険』で子どもたちがジャクソン島で嵐に遭遇する場面では、ファンタジー作品でのドラゴンとの戦いの場面を連想させる迫力があり、自然の過酷さの描写そのものが魔法の世界のような別世界を創り出していることが分かる。また『オズの魔法使い』では、イギリスのファンタジーにしばしば見られる別世界への移動が、竜巻というアメリカ的な自然現象によって引き起こされている。このように、アメリカの厳しい自然現象が時に非現実的に感じられるほどの迫力をもち、空想的世界の様相を帯びることが示された。
次に、アメリカとイギリスに共通にみられる児童文学作品の性質についての検討に移った。そのひとつに、子どもたちがどのような状況でも冷静さを失わないという特徴がある。例えば『不思議の国のアリス』ではうさぎ穴に入ったアリスが井戸のような縦穴を落下していく際、落ち着いてさまざまなことを考える。また『オズの魔法使い』では、竜巻に家ごと飛ばされたドロシーが、たどり着いた先で最初は不安に感じるがすぐに落ち着きを取り戻し呑気に寝入ってしまう。児童文学において、空想上の奇妙な世界の中に存在する正常な人間という構図がしばしば見られることが示唆された。
その他の共通点として主人公の別世界への「越境」が挙げられ、『ハックルベリー・フィンの冒険』、≪ナルニア国物語≫、≪指輪物語≫の三つの作品から、主人公が別世界へ越境する場面をみた。
最後にアメリカ児童文学に見られる新しい傾向について二点言及され発表が締めくくられた。開拓が済みもはや未知の世界ではなくなったアメリカにおいてファンタジーの台頭が目立つこと、また≪ハリー・ポッター≫シリーズの爆発的な人気を受けて、ここ十年ほど過去のファンタジー作品の映画化や再出版が盛んであることが指摘された。
質疑応答においては、さまざまな角度から質問がなされ活発な意見交換が行われた。三度目のファンタジーブームともいえる昨今の状況をどのように説明するかが議論され、世紀末的恐怖、キリスト教への不信といった社会的危機感が、ファンタジーというユートピアへの逃避を促す背景として示唆された。またアメリカにおいてファンタジーが根付かなかった文化的土壌として、検閲や魔女狩りといった反キリスト教的要素を排除しようとした社会の存在が指摘された。また、児童文学の定義の曖昧性について議論され、読者対象や主人公が子供か否か、という区分ではなく「子供が読んでも分かり、大人と子供を結ぶような世界」と定義する解釈が提案された。
沢辺氏の発表は、英米児童文学を幅広く扱い、イギリスとアメリカそれぞれの特徴を捉えようとする広域にわたる研究内容であったと同時に、作品を丁寧に紹介しさまざまな興味深い示唆を提示され、質疑応答では活発な議論が行われたという点で大変有意義な談話会であった。