第130回研究談話会  平成20年7月12日・藤女子大学

   

逆説の男らしさ──バラク・オバマを読む

   

      発表者: 瀬名波 栄潤 (北海道大学)


 

要旨


  自伝は近年、特に多文化・多価値主義などが標榜されるようになった80年代以降、文学ジャンルとしてさらなる注目を集めるようになった。サラダボウル的アメリカにおいて、マクロよりもミクロな、そして特定の集団よりも個人的な記憶が作り出す歴史性・政治性への関心がその背景にあると言えよう。本発表では、次期合衆国大統領民主党候補となったバラク・オバマ氏が1995年に出版した自伝 Dreams from My Father: A Story of Race and Inheritance に焦点を当てる。オバマ氏の自己創出の物語は、アフリカ系アメリカ人という社会的弱者でありながら同時に男というジェンダー的強者であるというパワーが交差するアイデンティティーのパラダイムによって支えられている。一見矛盾するかに見えるこの構造は、しかしながら、ポストモダンにおいて再生産される「男らしさの神話」の現実であるということができよう。リベラルなイメージが先行するオバマ氏が創り出した自己像を文学テキストとして検証する。



   

      報告者: 本城 誠二 (北海学園大学)


 

報告


  今回の発表で瀬名波氏は、バラク・オバマ氏が政治家になる前の1995年に出版した自伝 Dreams from My Father: A Story of Race and Inheritance を取り上げ、自伝の文学的歴史と特徴、最初の発表時と現在の売り上げと評価のギャップ、オバマ氏が黒人としてのアイデンティティーを強く意識した少年時代のインドネシアでのエピソードなどを分析した。そして題名にも登場するアフリカ人の父親の意思を継承しようとするオバマ氏がこの現代においてアナクロニズムとも見える「男らしさの神話」を再生産している事を検証した。
  瀬名波氏は、先ず自伝の歴史について司会の伊藤氏の論文を引用しながら、自伝の前には告白・メモワールなどの形式もあり、教養小説の自伝的要素や、自伝の中のトラウマを語るナラティヴなどにもふれて概括した。また出版した1995年におけるパッとしない売上と評価、そして民主党大統領候補として注目を浴びた後のベストセラーとなった、この自伝の取り上げられ方のギャップについても説明した。
 さてケニヤ人の父親と北欧系アメリカ人の母親との間に生まれたオバマ氏は、両親の離婚後、母親の再婚に伴いインドネシアに赴き、その後母方の祖父母とのハワイでの生活、そして最初の大学ロサンゼルスのオクシデンタル・カレッジ、次にコロンビア大学、そしてハーヴァード、その間シカゴでコミュニティ支援運動や大学講師としてシカゴで暮らすなど、居住歴・学歴も多彩を極める。これは人種も含めて、決して普遍的な、標準的なアメリカ人とは言えないのではないだろうか。大統領候補としても、いわゆるアメリカの奴隷制度の被害者である黒人の子孫ではない点が欠点として取りざたされている。
 この自伝では、様々な土地での様々な経験が語られるが、瀬名波氏は、インドネシアでの体験をオバマ氏の黒人としてのアイデンティティーに関する重要なエピソードして引用し、本人による朗読も聞かせてくれた。母親に連れて行かれた図書館で肌を白くする治療を受けて苦しんでいる黒人男性の写真を見て少年のオバマ氏は驚く。アメリカでは白人になれば幸せになれるという謳い文句で数千人の黒人が同様の治療を受けていると言う説明を読んで、体が熱くなるくらい腹を立てるが白人の母親には説明できずに悩む。
 しかしこの自伝においては、人種的アイデンティティーよりは不在の父親が色濃く描かれる。冒頭でケニヤにいる父親の死を告げられ、最後の方においてケニヤで異母兄弟と初めて出会い、父親の様々な側面を知り、あらためて自分が父親の息子である事を確認するように、父親の存在が重要なものとして表現される。母親についてのネガティブな描写と比較すると、「父親から引き継いだ夢」というタイトルを持つこの自伝は、結局は欠点もあった父親の「男らしさ」を神話として前面に出す形で、オバマ氏はその「男らしさ」を目指すような自己像を創出したものであると瀬名波氏は結論づける。
 最後の質疑では、「マリファナや酒はやるがコカインには手を出さない」という部分は、平均的読者に許されるような逸脱を書きつつ、最後は良識的な政治家として期待できる人物像を自己演出しているのではないかという指摘もあった。自伝も含めてあらゆる言語表現はフィクションなのだから指摘の通りと頷きつつ、オバマ氏の人種的背景や多彩な経験がアメリカの大統領として有効に作用すればいいのだがと考えた。

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