第133回研究談話会  平成20年11月29日・藤女子大学

   

ヘミングウェイと1930年代のアフリカ
――創造されたアフリカ先住民に見るヘミングウェイの人種意識

   

      発表者: 本荘 忠大 (旭川工業高等専門学校)


 

要旨


  本発表では、作品に登場するアフリカ先住民が物語の後景として、サファリにおいて白人に仕える役割を果たすのみの存在を許容されているにすぎず、またそれゆえに1930年代当時のヘミングウェイに先住民の歴史や文化を理解しようとする試みはほとんど見られない作品であるとする批評が主流を占めてきた二つの短編「キリマンジャロの雪」、「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」および『アフリカの緑の丘』を再読し、『キリマンジャロの麓で』とも比較検討しながら、先住民に対して向けられた眼差しの背後に潜むヘミングウェイのアフリカ先住民意識の解明を試みた。
 まず雇用された先住民を従えて行われた30年代の東アフリカにおけるサファリの日課やサファリに対する白人観光客の捉え方を検証した。その一方でヘミングウェイが最初のサファリを行った当時のアフリカでは、20年代のアフリカ民族主義運動の黎明期を経て、経済不況の影響を最も大きく蒙ることとなった先住民が不当な賃金や労働環境を巡って白人への対抗意識を形成し、それが組織的な反政府運動となって広範に渡って展開し始めていたこと、そして当時のアフリカが50年代の政治的独立運動につながる白人・先住民間における人種上の緊張関係にあり、従来の先住民像が大きく変貌しつつあったことを確認した。
 このような歴史的背景を踏まえた上で、アフリカを舞台とする作品では、先住民が暗黙のうちに期待された役割を忠実に担う支配の対象として描出され、白人ハンターにとって都合の良い姿として歪曲されるとともに先住民の内的世界が捉えられることもないように見えること、しかしその一方で、白人登場人物の描かれ方を詳細に眺めたとき、テクストが30年代の社会的背景と密接に関わり合うことや、白人・先住民間における安定的な主従関係のみが描出されているとする解釈に抵抗している様子を検証した。
 また『アフリカの緑の丘』と『キリマンジャロの麓で』における人種関係の描かれ方や「私」に見る先住民意識が時代の変化と共にいかに推移しているかを分析した。その上で30年代のヘミングウェイが、アフリカへの侵入者、白人観光客としての自らのアイデンティティをどのように位置付けるのかを巡って、先住民を前に呪縛される優劣の自意識とそのような意識の相対化の試みとの間で揺れ動く現象を繰り返した結果、最終的な帰着点に到達できず、解決不可能なジレンマに陥っている地点に見出すことができること、また30年代のアフリカを舞台とした物語は、ヘミングウェイ自身も巻き込まれていた人種上の緊張関係とともに新たな先住民像が台頭しつつあった時代の混乱を映し出すテクストでもあることを指摘した。



   

      報告者: 上西 哲雄 (東京工業大学)


 

報告


  本荘忠大氏によるアーネスト・ヘミングウェイとアフリカを巡る議論は、昨年(2007年)12月15日に開催された日本ヘミングウェイ協会第18回大会(於関東学院大学関内メディアセンター)のシンポジウム「ヘミングウェイとアフリカ」で行った発題で既に行われており、今回はそれを更に発展させたものとなっている。(詳細は日本ヘミングウェイ協会編『ヘミングウェイ研究』第9号を参照されたい。)ここでは少し、そこでの本荘氏の活躍を紹介しつつ、今回の発表の意義などを浮き彫りにしていきたい。
 ヘミングウェイは1933年に初めてアフリカを旅行した後、1935年に『アフリカの緑の丘』、1936年に「キリマンジャロの雪」、「フランシスコ・マカンバーの短い幸福な生涯」を発表した。次に1953年から1954年にかけて再びアフリカを訪れ、その後に書かれたものとして2005年に『キリマンジャロの麓で』という表題で死後出版された。今になって日本ヘミングウェイ協会がアフリカをテーマにシンポジウムを組んだ背景には、二度目のアフリカ旅行がもたらした「アフリカもの」がようやく比較的信頼できる形で刊行されたことがあるのは、言うまでもない。
 本荘氏がシンポジストとして招待されたのは、氏にはこれまでヘミングウェイのテキストにおけるアメリカ先住民族の描かれ方に注目して研究を進めて来られた実績があり、支配者・被支配者の関係の表象についての洞察と知見を買われたものである。シンポジウムにおいては、ヘミングウェイのテキストにおけるアフリカ人表象にも独特の支配者・被支配者の構造があることを見抜き分析するという、期待通りの鋭く斬新なアプローチを示すことに成功した。
 本荘氏のアプローチは、ヘミングウェイが早くも1922年にアフリカ系作家ルネ・マランの小説『バトゥアラ』についての書評を書いたことに着目し、アフリカにおけるフランス植民地主義を告発したこの本と『アフリカの緑の丘』を比較しながら、ヘミングウェイのアフリカ観をあぶり出そうとするものであった。これまでヘミングウェイのアフリカ観と言えば、作家の帝国主義的なスタンスを批判するものが先行研究では多く、昨年のシンポジウムにおいて他のシンポジストもその問題に正面から取り組むというよりも別の重要な位相に着目することで斬新さを出そうとした中で、氏は正面から愚直にこの問題にガチンコ勝負を仕掛ける力相撲を挑んだ。今回の発表もその延長線上にある。
 今回の発表の内容についてはご本人の報告に委ねるが、基本的なスタンスはシンポジウムの場合と変わらず、帝国主義と切り捨てられがちなヘミングウェイのアフリカ表象をもう一度丁寧に読み直すことによって、アフリカを巡るヘミングウェイの複雑な想いを推測しようとするものであった。他のアフリカ・テキストという補助線も投げ捨てて真っ向勝負でテキストに取組んだ今回の氏の戦略は、支配・被支配の関係のパラメーターを、普通なら支配制度や対立に伴う事象に注目するところを、支配者の(広い意味での、つまり「心の」という意味も含めて)眼に映った被支配者による反抗的態度に置くというものであった。1930年代に入ってアフリカにおいて反植民地主義闘争が始まる中で、欧米の植民地主義的な心理に広がる動揺のさざなみを読み取ろうとするものであった。アプローチに間接的な手続きを組み込むことにより隔靴掻痒の面もあるが、それだけにより複雑でリアルなヘミングウェイの心情に肉薄できたのではなかろうか。
 フロアーからは1930年代にヘミングウェイがアフリカに行き、アフリカものを発表したことの背景や意義を問うもの、ヘミングウェイのフィクションに対する考え方を問うものなど充実した質問やコメントが出され、それを巡って活発な議論も交わされるなど、20人余りの参加者の協力により良い研究会となった。本荘氏自身も認めるように本研究は途上にあるものであり、今後の氏の研究の展開に活用できる有意義な課題を多数持ち帰ることが出来たと言える。また、本支部出身でヘミングウェイ研究者としては中堅実力者としての全国的な地位を確立している関西学院大学の新関芳生氏が、同僚の橋本安央氏を伴って参加されたことを特筆しておきたい。司会者が要所要所で氏に発言をお願いしたのに対して気持ち良く応じて頂いたお蔭で、議論を一定水準以上に保つことが出来た。
 早くも一年前には、既にヘミングウェイ協会の当該のテーマでのシンポジウムに招待されるなど、このテーマに関する氏の研究は全国的にも認知されているが、更に氏は、今年度より四年間「人種的視点から見たアーネスト・ヘミングウェイ研究」を題目とする「科学研究費若手研究(B)」を獲得している。北海道からアメリカ文学研究において全国的なレベルの本格的な取り組みがまたひとつ、ブレークしようとしているのをわれわれは目撃しているのを確信する発表となった。

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