第136回研究談話会  平成21年6月6日・藤女子大学

   

ウイリアム・スタイロン 『ナット・ターナーの告白』をめぐる諸問題

   

      発表者: 小古間 甚一 (名寄市立大学)


 

要旨


  1831年にアメリカの南部で起きた奴隷反乱の首謀者ナット・ターナーの生涯を描いた William Styron の小説 The Confessions of Nat Turner は、公民権運動の激しかった1960年代後半に出版され、文学的、歴史的、政治的論争を巻き起こしたが、21世紀に入ってからもその論争の火はいまだくすぶっているようだ。スタイロンの小説を出発点とし、70年代に出版された Stephen B. Oates による伝記 The Fires of Jubilee: Nat Turner's Fierce Rebellion、そして2002年に Robin Orr Bodkin が翻訳出版した Catherine Hermary-Vieille の小説 Nat Turner's Tragic Search for Freedom: From Deprivation to Vengeance (原作は1998年)を読み、ナット・ターナーが書き換えられていく、その変遷を概観しながら、スタイロンの小説の問題を明らかにすることができればと思う。
 なお、今回の発表は、中央大学出版部から2008年1月に出版された『ウィリアム・スタイロンの世界』所収の拙論「三つのナット・ターナー物語を読む」をベースにしているが、そこに収めることができなかったことも話題として提供したい。



   

      報告者: 岡崎  清 (札幌学院大学)


 

報告


  小古間氏は、トマス・グレイの『ナット・ターナーの告白』(1831)を読んだスタイロンの疑問を以下のように紹介した。
  @ 「親切な」主人をなぜナットは殺そうと思ったのか。
  A ナットは白人主人を殺そうとしたときになぜひるんで殺せなかったのか。
   B ナットはマーガレット一人しかなぜ殺さなかったのか。
 小古間氏によれば、グレイの『告白』は南部を沈静化させるために、ナットをたんに狂信的な男とし、ローカルな事件に過ぎないことを強調しているが、スタイロンのナットはより複雑で、反乱の中に社会的要因を取り入れ、かつナットの内面的な心の揺れをも描いていると捉えた。その心の揺れは作家スタイロンの揺れに通底していると氏は解釈する。
 『ウィリアム・スタイロンのナット・ターナー 黒人作家10人の反応』(1968)を紹介したあと、その後のナット・ターナーに関する Oates による伝記、Vieille による小説について言及され、これら「三つのナット・ターナー」の比較に移った。三者の比較においてスタイロンのそれは「女性」の視点が欠落していることがわかる、と氏は特徴づけている。
 フロアーからは、「スタイロンはサンボ化された黒人表象を再構成してしまっているのではないか」という批判、フォークナーとの親近性、カリブなどと比較するとアメリカの奴隷反乱の少なさ、(ナットが黒人の英雄であるならば)黒人作家が何故ナットを書かないのか、といったコメント等が寄せられた。
 小古間氏は「21世紀に入ってからもナットをめぐる論争はまだくすぶっている」としめくくった。



   

      報告者: 平野 温美 (北見工業大学)


 

報告


  奴隷制時代のヴァージニア州で、57人の白人を殺戮する黒人反乱が起きた。首謀者ナットは、処刑後136年を経た1967年に、白人作家の小説の中で蘇える。時は公民権運動のまっ最中である。小説が引き起こしたのは、描かれたナットの人物表象と19世紀に生きた実像、歴史、文化をめぐる賛否の渦巻きであり、その議論は実に21世紀の今日まで続いている──発表者、小古間甚一氏は、スタイロン著『ナット・ターナーの告白』の内容と、作品自体のその後の運命のドラマというべきものを、実に多面的に分析し、解き明かした。
 まず、『告白』の成り立ちとテーマが明らかにされた。作中には弁護士トマス・グレイが前もって書いた「ナット・ターナーの告白」がある。グレイはこれを読みながらナットのとった行動のうち理解し難い箇所を本人に尋ねる。ナットがそれに答える形で自分を語るのが『告白』である。このやりとりに事件を狂信的、局所的とするグレイに批判的なスタイロン自身の考え、すなわち反乱の原因を残酷な奴隷社会の問題とする立場が読みとれると小古間氏は分析する。
 発表の最も興味深いところは、『告白』に対する読者の、激論を伴う多様な反応と、それと無関係ではないスタイロン描くナット像の問題点の指摘であった。出版直後『告白』は白人、黒人双方から攻撃を受けるが、特に黒人作家達が極めて厳しい批判を展開し、それは翌年『ウイリアム・スタイロンのナット・ターナー:10人の黒人作家の意見』として形となる。批判は、ナットは白人がつくるステレオタイプであるという主張である。特に白人女性に欲情する黒人男性というステレオタイプを体現したことがその焦点にあった。またナットはリーダーとして「無能、臆病、優柔不断」であり、主人殺害をためらう「心理的な揺れをもった人物」となっていること、すなわち「自由獲得の闘争」の首謀者でありながら「暴力行為を正当化」したくないという「リベラルな南部白人」の視点となっていることを指摘する。結局、ナットがリーダーを降りたあと、目的を失った反乱者は暴徒となり、軍隊に鎮圧される。
 スタイロンの『告白』が内包する問題点が、種々な意見を呼び込む起爆剤となって今日までの議論になっていることがよく伝わる発表であった。スタイロンを意識してその後書かれた諸作品が証左であるし、また本研究会で多くの意見が出たのも同じ要因であろう。奴隷制と差別はジェンダー、オリエンタリズム、ポストコロニアリズム等と通底する。差別が完全に過去のものとならないかぎり、『告白』は小古間氏の指摘通り、「歴史と小説、作家の想像力の問題」等が解き明かされるのを待って、これからも「問題作であり続けて」いくことを納得させられた発表であった。また同じくスタイロンの研究者である司会者、岡崎清氏からも示唆に富む解説を頂いた。

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