第139回研究談話会  平成21年9月12日・藤女子大学

   

時の交わる都市――現代LA作家における時間の諸相

   

      発表者: 藤井 光 (同志社大学)


 

要旨


  物語における時間の感覚が、特定の都市が持つ時間性とどのような関係を持ちうるのか、という問いは、昨年ロサンゼルスに滞在したこともあり、次第に気になり始めた問題である。今回は現代アメリカ作家のなかから、ロサンゼルスをベースに活躍する三人、Sesshu Foster、Kate Braverman、そして Steve Erickson を取り上げ、ロサンゼルス独特の時間感覚がかれらのテクストに継承されていると同時に、それぞれのスタイルで変形させられ、独自の時間感覚を生み出していることを検証した。
   ロサンゼルスという都市においては、過去や歴史がさしたる価値を与えられてこなかったという点は、上に挙げた作家たちだけではなく、批評においてもしばしば指摘されてきたことである。過去からの連続性ではなく、もっぱら現在における利害が街の成り立ちを決定してきたため、この都市の時間性は “perpetual present” とも表現される。ノワールを始めとする、ロサンゼルスを舞台とする文学の伝統は、この都市の非歴史性に対する批判的な姿勢を主流として形成されてきたと言える。
   一方で、今回取り上げる三人の作家たちにおいては、ロサンゼルスの時間性に根を下ろしつつも、単なる「現在」の肯定には留まらない時間感覚が実践されている。Foster による Atomik Aztex (2005) は、現代の東ロサンゼルスにおける労働者の日常と、歴史を反転させた “Aztek” という架空の世界を、パラレル・ワールドの手法を用いて交錯させながら、最終的には現代ロサンゼルスにおける過酷な生活が終わりなく継続する模様を浮き彫りにし、暗転した “perpetual present” を提示している。一方の Braverman は、メモワールである Frantic Transmissions to and from Los Angeles (2006) において、ハリウッド的な自己の再創造神話を下敷きにしながら、アイデンティティの絶え間ない更新というプロセスのなかに「現在」があることを強調し、マリリン・モンローの架空のインタビューにおいてその思考を実践している。Steve Erickson の Our Ecstatic Days (2005) においては、21世紀全体が主題となり、ニューヨークでの同時多発テロという災厄によって開始された「カオスの時代」の枠組みが、ロサンゼルスで変容しうる可能性が追求されている。非歴史的な都市というロサンゼルスの特徴は、Erickson においては時代そのものを再想像する契機として捉え直され、物語の分岐と合流というテクスト上の力学とともに、21世紀がカオスと秩序という二分法から抜け出る瞬間を導き出している。
   かれらのテクストは、ロサンゼルス独特の時間を物語の起点とし、ノワールやハリウッド神話、“disaster fiction“ などのロサンゼルス文学に典型的なジャンルを自在に活用しつつ、最終的には独自の時間感覚を実践している。
 当日の発表に際しては、Nathanael West などのロサンゼルスを描いた文学の背景、さらには Erickson のテクストで暗示されているキルケゴールの哲学とのつながりなどの指摘をいただいた。文学における時間という枠組みについて、より深く思考することの必要性も痛感した。三つのテクストを扱った発表の司会を快く務めていただいた本城誠二先生と、未熟な発表に助言をしてくださったフロアの皆様に改めて感謝したい。



   

      司会者・報告者: 本城 誠二 (北海学園大学)


 

要旨


  今回の発表者である藤井光氏は北大大学院の博士課程を修了し、日本学術振興会特別研究員を経て、今年の4月から同志社大学文学部英文科で教鞭をとり始めた日本アメリカ文学会北海道支部の若手研究者のリーダー的な存在である。のみならず藤井氏は Paul Auster など現代アメリカのポストモダン的作家の研究を中心として、日本アメリカ文学会の『アメリカ文学』(英文号)やアメリカにおける学会誌などにも論文が掲載され、全国レベルでも若手研究者の俊英として注目されている。
 さて今回の発表では、Steve Erickson の作品を中心に、Los Angeles 特有の時間 “perpetual present” をLAの作家がどのように描いているかを分析した。まず “perpetual present” が過去と断絶して自己の再創造を実現する非歴史的時間である事を数点の文献から説明した。さらにLA文学の系譜と時間の表象について触れ、LA的時間を継承しつつもそれぞれの時間の観点から作品を発表している3人の作家の分析に進んだ。
 Kate Braverman の Frantic Transmissions to and from Los Angeles (2006) では、Marilyn Monroe の架空インタビューで非連続的な変化の中でとらえられる現在において自己の再創造が語られているとする。
 次の Sesshu Foster の Atomik Aztex (2005) においては、歴史改変を含むパラレル・ワールドが描かれている。アステカがスペイン人に滅ぼされず、かえってヨーロッパを征服しつつあるという1940年代の中で、アステカの軍事指導者が現代のLAの食肉工場で働いているアステカ人の夢を見る。語りの構造としては1940年代が現実であって悪夢における未来(=現代)が非現実だが、藤井氏は1940年代の世界は紛い物の過去であって、悪夢=現実を支えることはないとする。
 最後の Erickson の Our Ecstatic Days (2005) では 9/11 に象徴されるカオスとしての21世紀がやはりパラレル・ワールドという構造の中で描かれる。Kristine はLAに突如出現した湖の原因を探ろうとして、息子の Kirk を残して水の中に飛び込む。しかし戻ってきたLAから Kirk は消えていた。Kristine は名前を変えて Kirk を探し続け、物語の最後においては再会を果たす。テクストの構造も含めて、登場人物の名前の改編、定かではない変身等、複雑な Erickson の世界を、藤井氏はLAを舞台とした21世紀がカオスと秩序という二分法から抜け出る瞬間を導き出していると読み解く。
 “perpetual present” の意味や出典についてフロアからの質問があり、藤井氏はLAの歴史や形成過程また他の都市との関わりなどから説明をされた。この発表の重要なテーマである時間について、Our Ecstatic Days における現在と未来の描写に関する質問もあった。全体としては、藤井氏の明快でかつ問題意識の鋭い発表に対して活発な質疑がなされ、参加者にとって、そして10月の全国大会に向けて準備中の藤井氏にとっても実りの多い研究談話会であったと思う。

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