第141回研究談話会 平成22年2月20日・藤女子大学
不名誉海兵隊員とアメリカの対決:「兵士の故郷」における象徴と嘘
発表者: 野村 幸輝 (旭川大学)
要旨
本発表は、Ernest Hemingway の “Soldier's Home” に散見される謎と象徴の数々を解読する中であぶり出される主人公の海兵隊帰還兵 Harold Krebs の臆病・偽装・虚勢・対立の精神構造に、神の国アメリカの礎とも言うべき海兵隊の三原則とキリスト教の三元徳への意図的な挑戦を読むものである。これまでの自伝研究やトラウマ研究等を評価しつつ、ここでは文学手法とアメリカ精神の視点から作品へアプローチする。
本発表は7章で構成されている。序章ではまず “Grace (or Disguise) under Pressure?” と題して1910年代アメリカを支配した男らしさの追及と好戦的精神について確認した。第1章 “Manhood, Sacrifice, Rewards: Charley Simmons vs. Harold Krebs” はそれらの要素を作品に登場する2人の男に当てはめて性格比較し、Krebs の人物像を大観するものだが、「立派な青年」Charley に対し、ベロー森の戦いなど5つの過酷な戦闘を戦った Krebs もそれが事実でれば実に勇敢な男、しかし帰還後の彼のだらしない生活は死ぬまで高潔さとプライドを持ち続けるはずのアメリカ海兵隊員の姿ではない。それではそもそも戦場で何があったのか、その謎を探るのが第2章 “Honor, Courage, Commitment: True Hero vs. False Hero” だが、ここでは作品冒頭の2枚の写真、帰還の遅れ、「自分も戦場では常に具合が悪くなるぐらい怖かった」という証言などを手がかりに、Krebs は戦場では臆病で不名誉な海兵隊であったという結論に至る。それを踏まえて第3章 “Ice Cream, Conquest, Damage: Flappers vs. Male Chauvinist Pig” では彼の帰還後の趣味である町の女の子の観察と彼らに対する曖昧な態度に偽装と臆病心を読み、第4章 “Faith, Hope, Love: Bitch Mother vs. Son of a Bitch” ではいわゆるキリスト教の三元徳とメソディストの形式主義に凝り固まる母親の偽善に「吐き気」をもよおす彼の態度に虚勢と対立の精神を見、また第5章 “God, America, Job: Boss vs. Desperado” では戦場での息子の失態を静観する神にも似た、そして傲慢な祖国アメリカにも似た「無関心な」父親の存在を忌み嫌い、就職については父親からの援助だけは受けないとする彼の姿勢に再び虚勢と対立を見た。
よって、結びの章 “The Making of a Pathetic American” では、この作品の意図が「失われた世代」の象徴的人物、すなわち戦争体験によって生気を抜かれてだらしのない、それでも涙ではなく「吐き気」で生を確認しようとするアメリカ人を作ることにあり、またそのような男にアメリカ海兵隊、メソディスト、勇敢さにしか興味のない神の国アメリカという荘厳な対立項を与えることで、彼の暗闇での、もがきの有り様がより鮮明になっているのではないかという結論に達した。
報告者・司会者: 伊藤 義生 (藤女子大学)
要旨
発表者の野村幸輝氏は、ベトナム戦争に関わった若者たちを種々の角度から描いた作品を数多く発表したティム・オブライエンの研究で知られ、戦争がもたらす影響、とりわけ戦争に対する若者の屈折した思いと心身への傷跡に大きな関心を抱いている。
本発表では、Ernest Hemingway の短編集 In Our Time の中の一編で、ほぼ無傷の戦勝国アメリカの国際的位置を一気に高める契機となり、国内的にも大きな社会的、文化的変動をもたらした第一次世界大戦を背景に描かれた “Soldier's Home” を取り上げている。
氏はこの大戦の激戦地を経験した海兵隊員 Harold Krebs 青年の帰郷後の姿を、作品のなかの事象や登場人物にみる対立、ないしは矛盾や対比を軍隊組織と宗教的文脈の中で検証することに一つの焦点をあて、多角的に作品の分析を進めている。
自伝的要素と作品との間の緊密性が論議される Hemingway ではあるが、氏は敢えてそこには触れず、もっぱら作品自体の読みに集中して、発表者要旨にある通り数々の二項対立的要素、とりわけその象徴性に迫っている。場合によっては、その解釈が男性性への傾倒が強く見られる点については、フロアーからも指摘があり、また論議になった。
ここでは、氏が要旨で触れている以外で、フロアーから出たいくつかの指摘について記しておきたい。
この作品は、主人公を取り巻く家族と地域社会との距離感も大きなポイントとなっている。両親やオクラホマの田舎町の人々からの視線のなかで、彼がますます疎外感、孤立感を強めていくのに対して、彼の妹たち、とりわけ Helen の存在を Catcher in the Rye の Phoebe に重ねてみることもできるのではないかとの声も出た。
この作品にはさまざまな謎があるが、例えば、カンザスのメソジスト系大学在学中に志願して海兵隊に入った主人公が、オクラホマの故郷に帰ってきた後、彼自身も大学に戻ろうとせず、また両親も戻ることを勧めようとしないのは何故かという点や、作品の最後に主人公が母親を安心させるために家を出て、カンザスに仕事を見つけに行こうと決心する場面があるが、果たして彼は実際に行動に移すのか、あるいは、やはりそのまま故郷の我が家にとどまり相変わらず無為の日々を過ごすのか、こうした点についてもさまざまな解釈が提示された。
短編集 In Our Time 全体にいえることだが、各作品の前に置かれているエピソードと本編との関係性について、“Soldier's Home” の場合はどう考えるかも論議になった。
Hemingway の文体の特徴である肯定と否定の反復が、主人公の揺れ動く心理を反映している点や、装飾の少ないスタイル故に種々の解釈を引き起こし、それが曖昧性と同時に重層性を生み出している点も指摘された。
いつの時代にも起こりうる青年像の心の揺れ、とりわけ戦争によって否応なく引き起こされる心身への影響を描くこの作品が、普遍性をもって語り継がれていくことが改めて認識された。
野村氏の作品へのアプローチには新しい視点からの刺激的な面もあり、また一方その解釈に対してフロアーから活発な意見、考え等が出されたため、談話会は白熱したものとなった。今回の種々の論議は、野村氏によって今後より深い検証と考察が行われ、論文として結実していくことが期待される。