第143回研究談話会 平成22年4月24日・藤女子大学
正統派ユダヤ教の世界――その思考様式と宗教生活
発表者: 羽村 貴史 (小樽商科大学)
要旨
正統派ユダヤ教の伝統的な思考様式、言語観、時間概念について、ヘレニズムとの違いを踏まえながら概略する。また、祝祭等におけるラビたちの生の姿を、画像と映像で紹介する。
報告者: 本城 誠二 (北海学園大学)
羽村さんの発表は、「正統派ユダヤ教の世界――その思考様式と宗教生活」と題されたもので、前半は最近の論文からの難解な話と、そして後半は二年間滞在したシナゴーグの映像を使っての楽しく興味深い報告であった。
ヘブライ語の「言葉」という語 davhar を英語に置き換えるとword, saying だけではなく thing, matter の意まで含み、背後にあるものを前に押し出すというユダヤ人の発話行為を意味する。またボーマンによればギリシャ人にとって「ロゴス」が存在する事を特質とするのに対し、ヘブライ人にとって「ダヴァール」は働きかける事が特徴であるらしい。「イザヤ書」でも発話はつねに行為を前提とする。
そのような言葉の織物であるテクストの解釈については、一人の作者による究極の意味(起源)ではなく、同時的・並列的に存在する複数の意味を認めようとする思考様式がユダヤの伝統であるとする。だから若いラビが自分の解釈を述べても他の者たちはそれに対する自分の意見を言わない。
後半では、アメリカ東部のアマーストのシナゴーグに二年間滞在した時の貴重なエピソードをたくさん聞く事ができた。このような体験した研究者はあまりいないと思われ、この体験談で一冊の本が書けそうな気もする。さて最初の半年間、ユダヤ教の信者からあまり打ち解けてもらえなかった羽村さんが、彼らの世界に受け入れられるようになった時の最初の質問も言葉に関する事であった。彼らは羽村さんの名前「貴史」の発音に対して執拗とも言える程の関心を示したらしい。それは「ダヴァール」と関連して、言葉と実体の関係に対する思考様式に由来する面白いエピソードであった。ユダヤ教徒の祝祭や歌と踊りの映像もとても興味深いものだった。
正統派ユダヤ教徒の人たちは、自分たちの集団で文化的に自足して他の社会と関わらないようにも見えた。それはユダヤ人全般に共通する、いかなる共同体にあってもその周辺に位置するユダヤ人のあり方を象徴しているような気がする。
研究談話会としては、従来のような研究の最終報告や中間報告だけでなく、今回のような談話会もあると思う。新しい情報の紹介の場であってもいいような気がする。そんな研究談話会のあり方の可能性についても前向きに考えさせられる機会であった。