第147 回研究談話会 平成22年11月27日・北海学園大学
移住者にとって演劇とは何か――篠路村烈々布素人芝居の研究――
発表者: 高橋 克依 (北星学園大学)
要旨
本発表は、昨年出版した拙著『篠路村烈々布素人芝居』に基づくものである。
昭和30年、北海道の篠路村と呼ばれた小さな村が、札幌市と合併する。この一連の仕事に関わった篠路村村長大沼三四郎(明治14年−昭和42年)は、戦後初の民選村長として村を治めていた。かつて山形からの移住者として親とともに篠路村烈々布に移住した大沼が、自分の第二の故郷をここまで発展させた原動力のひとつに、若い頃に仲間たちと始めた素人芝居があった。
篠路村が本格的な“開拓”に着手し始めたばかりのころ、それぞれの故郷に別れを告げ、新天地に腰を落ち着けようとした人々の農作業は思い通りにははかどるはずもなかった。夢破れ、泣く泣く離村を決意するものが後をたたなかったという。明治35年、花岡義信と名乗った大沼率いる「烈々布素人芝居」はこうした時代に幕をあけ、村祭りで歌舞伎を中心とした芝居を上演することになった。この芝居は人々を夢中にさせ、 次第に村人の娯楽の中心になっていったのである。その評判は、年を追うごとに周辺に広がってゆき、遠方の村落からわざわざ見物に訪れる者たちも増え、自らも旅回りをするようにさえなっていったという。
素人芝居の常として、幕が下り時が移り変われば人々の記憶から消え去ることもやむを得ない。しかし、昭和50年ごろにマスコミによる取材や地元の人々への聞き取り調査がおこなわれ、再び世間の関心があつまるようになった。関係者の子孫たちが資料を出し合ったり、記憶をたぐり寄せては地域史などにまとめ、その特異な活動状況が記録にとどめられはじめた。しかし、それにもかかわらず、学術的な研究はほとんど皆無のまま、放っておかれていた。
新しい土地に移住し、そこを第二の産土の地にしようとする思いがあればあるほど、周囲の人々との結束を密にしようとする力が働くのも当然のことである。演劇はその過程の中でどのように成立し、利用され、役割を果たしてきたのか。今回の研究は、北海道篠路村を例としてこの点を明らかにし、移住者と演劇活動との関連性の一端を明らかにすることが目的である。
報告者・司会: 山下 興作 氏 (高知大学)
要旨
北海道が明治時代以降、「本土」からの大量の移住者によって「開拓」されたことは周知であるが、それは必ずしも故郷を離れるときに夢見たような結果を伴うものではなかった。生活の厳しさの前に、志半ばで入植地を離れる、あるいは離れざるを得なかった人達が後を絶たなかったというが、農業機械は皆無に等しく、すべてを人力に頼らなければならない上に、劣悪な生活環境をしいられたことを思えば、それも無理のないことだと思われる。そうした中で、いかにして入植者の離村を防ぐかは、どの集落にとっても、今日のわれわれが想像する以上に、喫緊の問題であったろう。
今回の高橋氏の発表は、北海道の篠路村と呼ばれる小さな村で、大沼三四郎を中心とした若者たちが素人芝居を立ち上げ、発展させることによっていかにこの問題に取り組んできたかを、その誕生から発展、衰退、そして形を変えての復活に至るまでの軌跡を丹念に追ったものである。
札幌市北区に「花岡義信之碑」なるものが現存する。「花岡義信」とは、大沼三四郎の芸名である。実在の人物を顕彰する碑に、本名ではなく芸名が刻まれていることからしても、当時の人達にとって、彼を中心とした演劇活動がいかに当時の人達にとって大きな存在であり、それを誇りに思っていたかが伺える。
高橋氏は、残された数少ない史料を掘り起こし、まだご存命の関係者に丹念なインタヴューを重ね、花岡(大沼)の生地をはじめとする関連地に自ら足を運び、「烈々布素人芝居」が、明治三十年代に始まった地域づくり、特に「青年会」の活動の一環として取り入れられたこと、移住者の多数を占める浄土真宗の報恩講との関わり、さらには彼らの出身地との交流の影響など、成立事情を明らかにしていく。
さらには、大正時代に絶頂期を迎える「烈々布素人芝居」の影響は、篠路村の北に隣接する丘珠村や東隣の十軒部落など、周辺の地域にも演劇集団を発生させるという形で広がりを見せている。しかし時代が昭和に入るころから、その勢いにも陰りがみられるようになり、一気に昭和九年 (1934) の花岡義信引退公演へと向かうことになる。しかしながら、大沼(花岡)は指導者として影響力を発揮し、役者ばかりか後継の指導者の育成にも情熱を注ぐ。その結果、彼らの演劇活動は「期的とは言えないまでも確実に継承され、やがて地元の保育園がカリキュラムに取り入れ、「篠路子ども歌舞伎」として復活を遂げ今日に至る過程を克明にたどる。
その後フロアとのやり取りを通じて、北海道における演劇・演芸の発展形態としては、他のパターンもある点が指摘されるなど、実り多い談話会であった。
今回の発表は、発表要旨にもあるとおり、高橋氏の著書『篠路村烈々布素人芝居』にもとづくものであるが、会場では著書には収録されていない多くの映像資料(記念碑や芝居小屋、舞台写真、出演者の集合写真、演目表など)に加え、花岡義信の生の声も聞くことができた。これも、こうした談話会形式ならではの成果であろう。
また、今回の発表内容は、直接にはアメリカ文学とつながるものではないが、これもまたフロアとのやり取りの中で明らかにされたように、近年の研究動向をふまえた発表を目の当たりにして、同じ演劇研究者でありながらとかくテキストの読解に偏りがちな私などにとっては、大きな刺激となり、北海道とは異なる風土歴史をもち、なおかつ今日まで素人芝居が比較的残っている四国というフィールドに住む者として、自分の周囲でも調査をしてみたいという思いに駆られた。
発表者の今後の計画では、北海道における演劇・演芸の他の発展形態も明らかにしていくとともに、同じ「移住者」によって成立していったアメリカの演劇にも、同様の手法で取り組んでいくそうだが、それらが今回の成果同様に実り多いものになるよう期待したい。