第148 回研究談話会 平成23年1月29日・札幌市立大学サテライト・キャンパス
もうひとつのハーレム・ルネサンス――アロン・ダグラスの世界
発表者: 寺山佳代子 (國學院大学北海道短期大学部)
要旨
アロン・ダグラス(Aaron Douglas, 1899-1979) はアレン・ロックが編集した『サーヴェイ・グラフィク』 誌特集号 (1925) に感動し、高校の美術教師の職を辞し勉強のためパリへ発つ前に、憧れのニューヨークへお上りさんとして立ち寄ったところ、そのままハーレムに定住する。幸いなことにロックの『新しい黒人』 (1925) にイラストが12枚も採用される。こうしてカンザス州トピーカ出身の田舎者はハーレム・ルネサンスのデビューに成功する。
『クライシス』誌、『オポチュニティ』誌、『メッセンジャー』誌、『ファイア』誌で、W・E・B・デュボイス、チャールズ S・ジョンスン、ジョージア・ダグラス・ジョンスン、ラングストン・ヒューズ、ユージン・オニール、ジェームズ・ウェルダン・ジョンスン、ロック、ルドルフ・フィッシャー、クロード・マッケイ、カウンティ・カレン等と共にイラストやデザインを多数発表する。ダグラスはルネッサンスにまだ登場していなかった美術を分野として確立する。ルネサンスは評論、解説、詩、小説、戯曲、歌、踊り、演奏、ミュージカル、ショーが主なものであったのに、イラスト、デザイン、絵画、壁画を発表し、めざましい活躍をする。
さてダグラスは、アフリカ美術、ハーレム・ルネサンス、モダニズムをどのように考えていたのであろうか。フィスク大学ジョン・ホープ・フランクリン図書館に収蔵されているアロン・ダグラス コレクションの資料やフィスク大学で制作した壁画から考察したい。
報告者・ 司会: 鎌田 禎子 (北海道医療大学)
黒人画家である Aaron Douglas はハーレム・ルネサンスの重要な担い手の一人と言ってよいが、多くの会員にとっては、それほど馴染みがある人物ではないだろう。寺山氏はこのダグラスの半生と主要な作品について、とりわけフィスク大学の壁画を中心にして、きめ細かな発表をされた。
ハーレム・ルネサンスの創始者とも呼ばれる Alain Locke 編集の雑誌に惹かれてハーレムのただ中に飛び込み、そのロックに見出されてデビューし、ルネサンスを率いた多くの芸術家たちと共に作品を発表したダグラスの最も多産な時期は、ルネサンスの最盛期そのものと重なる。当時のルネサンスの刊行物は若い黒人たちにとって非常に魅力的で力を与えるものであり、青年ダグラスの作品は新鮮さ、自由、解放、希望を感じさせ、ロックの “New Negro” の精神をまさしく体現したものであったと紹介された。その作風はモダニズムの影響を受けていると同時に、アフリカへの意識を強く持ったものであった。寺山氏は、アフリカ美術は最もモダンであると同時に最も古来のものである、と述べているダグラスのルネサンス回想を引いて、モダニズムは明らかにアフリカの影響を受けている運動であり、ダグラスは当時の現代美術の先端であったモダニズムの潮流を、自らのものとして捉え直したと述べられた。これについては談話会後の懇談で、モダニズムの一面を単純化し過ぎて扱う危険も指摘されたところではあるが、ダグラスがアメリカの黒人の現在と、自分たちの起源であるアフリカとの結びつきを強く打ち出そうとしていたことは確かである。
ダグラスは後にテネシー州ナシュビルに移り、フィスク大学で27年にわたって美術を教えるが、それに先立つ1930年、一夏をかけて図書館に壁画を完成させる。壁画は黒人の歴史を表し、アフリカのジャングルからエジプトの様子、やがて奴隷として船に乗せられ、新大陸に到着して現在へと至る過程がパノラマ式に描かれている。これは教育が人を発展させると信じ、過去は否定されるべきものではなく、学生が壁画を見て生きる希望を得てほしいというダグラスの思いを表したものであると寺山氏は話され、他にも、科学や詩、音楽などの学問を表した画など、それぞれについて詳細に説明された。
最後に寺山氏は、黒人芸術家としてのダグラスの姿勢について述べられた。穏やかで控えめだったダグラスは、ジーン・トゥマーのように喧嘩腰でもなく、カウンティ・カレンのように、自分は詩人であって、黒人詩人であるという必要はない、という態度を取ることもなかった。生涯人種的偏見には苦しんだものの、かれが人種意識の苦悩を語る文章は残っていない。良き理解者たちに恵まれるという運にも助けられ、全般的には成功者として乗り切ったと言ってよい。 ダグラスは、現代の統合社会、多文化主義の中で、自分の出自のアイデンティティを保ちながら生きていくという考え方を実践した先駆者である、とのまとめであった。
質疑の時間は殆どなかったが、ダグラスが影響を受けた作家や、黒人美術の中でどのように位置づけられているか等についての質問に対して、Winold Reiss やヨーロッパ美術の影響、ロックに見出された意義の大きさ、 “Father of African American arts” と呼ばれるダグラスは、やはりその呼称に足るだけの影響力を持っていた、といった応答があった。
寺山氏はフィスク大学に滞在中、毎日壁画の元に通っては、メモを取ることを続けられたそうである。ダグラスの作品に対する、氏の新鮮な感嘆の念と熱意が印象的な発表だった。