第150 回研究談話会 平成23年5月14日・藤女子大学
Carson McCullers: An Interdisciplinary Conference and 94th Birthday Celebration 参加報告
発表者: 松井 美穂 (札幌市立大学)
要旨
今回の研究談話会では、発表者が二月に参加した Carson McCullers: An Interdisciplinary Conference and 94th Birthday Celebration の報告をさせていただきました。内容はそこで発表した論文の報告ではなく、大会の概要、および、大会参加を通して感じたこと、考えたことについてお話しさせていただきました。
この大会は定例的なものではなく、マッカラーズが育った家を現在 Carson McCullers Center として管理し、資料の保存と研究の発展に尽力している Columbus State University がホストとなり、開催されたものです。“interdisciplinary” と銘打っているだけあり会議には、アカデミックな研究発表はもちろん(クイアなアプローチからの研究発表が多数)、文学研究にとらわれない様々なアプローチからのプログラムが含まれておりました。例えば、マッカラーズの疾病に関してコロンバス在住のドクターが解説するセッション、マッカラーズの伝記編集者による自身と作家との関わりを「告白」するセッション、作品に関わるピアノ曲を演奏しマッカラーズ作品における音楽性を探求するセッション、など。(そして恐らく最も注目を浴びたプログラムは、女性シンガーソングライター、スザンヌ・ベガが、自身カーソン・マッカラーズになりきり、歌と語りでマッカラーズの一生を演じたパフォーマンスでしょう。)
このような、文学研究の枠組みにとらわれない学会を開催する理由をあえて考えるならば、そこには、マッカラーズ研究をいわゆる文学研究という枠内からその外へと導き、さらには「一般(の南部)社会」へとマッカラーズ文学を接続したいという思いが読み取れるような気がします。それは逆に、ブンガクが外の世界と断絶している証左なのかもしれませんが、文学的経験を他者と共有しようとするその試みに、改めて、文学(研究)の奥行きと可能性が感じられたように思います。
そして、本大会の聴衆の多くも南部人であったと思われますが、三日間の発表や参加者のディスカッションを通して痛切に感じたことは、南部人は今でもクエンティン・コンプソンのごとく、「南部に産まれて生きることの意味」を探求せずにはいられない、ということです。McCullers Center のディレクターでもあるコロンバス州立大学の Cathy Fussell 教授は、現在の南部研究者の “big issue” は “Does The South still exist?” であるとおっしゃっていましたが、この問いはもちろん南部においては少なくとも以前よりは人種差別や性差別が緩和され、また文化的にも北部や他の地域との差異が薄れたことが前提となっているのでしょう。しかしその問いは、クエンティンやマッカラーズが憎みそして愛してもいた「罪深い過去を背負った南部」がその過去を完全に拭える(あるいは贖える)日が本当に来るのだろうか、という疑問の裏返しでもあるように思えます。「南部とは何か」と「南部は存在するのか」の間にあるものを今後も考えて行きたいと思います。
このように、勉強もしつつ、様々なパフォーマンスや南部の食事(最後のディナーはこれも作品にちなんだメニューでした)を楽しみながら三日間の会議はあっという間に終わりました。一人の作家をめぐってこれだけ多様な世界を提示するプログラムを準備された開催者の方々、特にCathy の尽力に心からの敬意を表しつつ、報告を終わらせていただきたいと思います。
報告者: 鎌田 禎子 (北海道医療大学)
要旨
今回の研究談話会はいつもと趣が異なり、今年二月にジョージア州コロンバスで行われたマッカラーズの国際学会に、発表者として参加した松井さんの報告会というものでした。実は、マッカラーズとあまり関係のない私も松井さんに同行し、物見遊山的に楽しんでまいりましたので、物見遊山的に少し補足させていただきます。
報告のように、三日間の大会は非常に多彩なものでした。初日のレセプションと、生地コロンバスでのマッカラーズの足跡紹介の発表に始まり、次の二日間に五つのパネルで15の発表、単独テーマの発表が4本、小さなパネルディスカッションが2本という盛りだくさん。松井さんは第二パネルで Reflections in a Golden Eye についての発表を行いました。発表に対する討議の時間があまりなくて少し残念でしたが、コロンバス州立大の広報誌でも、イタリアやUAEの参加者と並ぶ海外からの主要な発表者として紹介されました。南部に関する議論が活発に展開されて最も興味深かったパネルは、マッカラーズ論集の編者たちによるものでしたが、「次に論集を出すとしたら、読者は何を読みたいか?」という議論はかなりプラクティカルで、さすがアメリカ、と感心しました。
発表以外も盛りだくさんで、今年五月にオフ・ブロードウェイで上演されたスザンヌ・ベガの劇は圧巻、“Supper at the Sad Café” と題された、「94回目の」カーソンの誕生パーティでも、Sad Café がモチーフの多くの余興がありました。三日目の午後には、作家ゆかりの場所を紹介しながらの生家へのバスツアー、出身小学校には地域の人々が集まり(マッカラーズに実際に会ったことがあるというご高齢の方もいらっしゃいました)、そこでは新進の女性監督によるマッカラーズ短編のショートフィルムが上映され、主演を務めた地元の小学生も出席して、誇らしげに質問に答えていました。
大会全体が、フューゼル教授をはじめとするスタッフの熱意と「マッカラーズ愛」に満ちたものでしたが、加えてこのような地域の人たちの様子がとても印象的でした。おそらくマッカラーズをそれほど読んだことのない人々もみな、うちの町から出た有名な、大事な作家として彼女を誇りにし、イベントや生家の維持にも進んで協力しているのでしょう。我々を見て、まあまあ、わざわざ日本から、と珍しがるおばあさんたちのサザン・ホスピタリティを受けながら、このように人のよい、のどかでのんびりとした南部の温かさで育つからこそ、その閉塞性や過去の大きさに気づいたときにそれは一層払いがたく、南部人であることの問いはより重苦しく、割り切れないままつきまとうのだろうと、ささやかに実感する思いでした。
今回の研究談話会も、「新しい談話会のあり方の可能性」の試みのひとつとして、面白いものだったのではないでしょうか。写真やビデオを交えて紹介された、かなり珍しいと思われるこの大会の魅力や、また何度も単身この地に通って研究をつづけている松井さんが肌で感じた、現在の南部の空気やその問題が、ご出席の方々に伝わったなら、幸いだと思いました。