第151 回研究談話会  平成23年7月2日・藤女子大学

   

応用文学の実践――ヘミングウェイとサステナビリティ


   

      発表者: 瀬名波 栄潤 (北海道大学)


 

要旨


 「文学離れ」が嘆かれる昨今であるが、本談話会では、新たな文学教育の可能性を探る。持続可能な文学教育と文学による持続可能な社会構築のための教育を組み合わせ相乗効果を持たせることにより、実学としての文学つまり「応用文学」を展開する。
 グローバル化が進む現在、自然や人間環境はさまざまな課題を抱えている。 それらを解決しよりよい世界を次世代に引き継いでいこうとするのが SD つまり「持続可能な発展」の概念であり、 教育を通してそれらを獲得しようというのが 「持続可能な発展のための教育」または「持続発展教育」とも言われる ESDである。 ESDは2002年の国連ヨハネスブルグ会議 (The World Summit on Sustainable Development) でも取り上げられ、 日本政府の発案で 2005年から2014年までを「国連持続発展教育のための10年(United Nations Decade of Education for Sustainable Development 2005-2014)」とすることを決定した。文学研究は虚構の世界を見つめる研究分野ではあるが、それだけに現実世界には示唆的だ。
 本発表では、まず SDやESDの概念並びに歴史を紹介し、次にその支柱の一つである「平和と人間の安全保障」を考察し、平和学の視点を用いながらヘミングウェイの短編「あることの終わり」(“The End of Something” 1925)を教材に、学際的な応用文学を実践する



   

      報告者: 小古間 甚一 (名寄市立大学)


 

要旨


 「小説は嘘の話だから、小説は読まない」。「文学ってほのぼのとしていて、癒されるよね」。こんな話をされて、そんなふうに文学は見られているのか、と多少のショックを受けつつ、「文学は現実的な問題を知る手がかりになりうるし、(陳腐な言い方かもしれないが)生き方と関係することもあるんですよ」と反論したのを思い出す。瀬名波氏が発表された「応用文学の実践」は、私の言い方に従えば、文学教育を「現実的な問題」や「生き方」に接続させようとする一つの試みだと思う。
 瀬名波氏の議論では、初めに「持続可能な発展(SD)」の概念が紹介される。グローバル化のなかで起こっている自然や人間環境が抱える課題を解決し、よりよい世界を次世代に引き継ごうという考えだ。そして、そうした考えに基づいて行う教育が「持続可能な発展のための教育(ESD)」である。発表の後半では、「国連持続可能な開発のための教育の10年」が掲げる8つのテーマから「平和と人間の安全保障」を選び、ヘミングウェイの短編「あることの終わり」を対象にして、「応用文学的平和教育」の実践を試みている。実践にあたっては、1.読者反応批評型導入:自由な感想・意見・疑問の重視、2.伝統的文学批評の紹介:1の解決の模索、3.新歴史批評的アプローチ:人文、社会、自然科学分野への越境と活用、4.「たら・れば・なら」による解釈:想像力による新たな方策の模索、5.現実社会での実情と方策への応用、6.「持続可能な発展」取組への評価、7.文学テキストの再評価と文学史の再構築、という流れになっている。
 ヘミングウェイの「あることの終わり」は、帰還兵ニック・アダムスと恋人の別れを描いた短編。この作品から、自然破壊(ホートンズ・ベイの荒廃)、釣りガイド、ジェンダーの逆転、セクシュアリティ、無情性をまず取り出す。そして、『われらの時代に』における二十世紀世界の混沌、生と死、第一次世界大戦、ニック・アダムスのPTSD、男らしさの問題と関連させる。さらに応用文学では、ここからニックのPTSDについてさらに考察を加え、その原因、ニックの自殺の可能性とその予防なども扱う。ただ、作品の評価は厳しい。この短編は、「持続可能な発展を教示する作品としては評価できない」。「持続的発展が不可能な社会問題の構造を再確認させる作品」であり、「平和と人間の安全保障」への絶望感を示すだけだ。
 当然のことながら、発表後の意見交換の場では、「応用文学」についての意見が分かれた。「実用性」という観点から文学を論じることへの違和感もあるだろう。私としては、問題解決の方法まで求めることを文学作品の評価基準としてよいか、という疑問もある。しかしながら、教室で文学テキストを扱うことの意義を問いかけたという点で、今回の発表は刺激的な内容だった思う。医療・福祉系大学で授業を持つ私には、文学作品をなぜ授業のテキストに使うのか、という問題意識がつねに纏わりついているからだ。古い文学作品を、現代の私たちが読む意義は何なのか。文学教育を通じて現実の問題をどのように学ぶことができるのか。文学離れや文学部の衰退という状況は、文学教育の意義は何かという問題を私たちに突きつけている。今回の談話会で瀬名波氏が発表された「応用文学」は、文学教育の一つの方法を示したという意味において、大変興味深いテーマだったと思う。

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