第156 回研究談話会  平成24年1月21日・藤女子大学

   

「私は流れるものすべてを愛する」

       ──ヘンリー・ミラー『北回帰線』における流れの場としての身体と都市


   

      発表者: 井出 達郎 (北海道大学大学院)


 

要旨


 『南回帰線』のエピグラフ「卵巣の市電に乗って」に典型的にみるように、ヘンリー・ミラーの一般的なイメージは、身体性を猥褻的に強調する作家というものだろう。しかし、この標準的な見方は、ミラーに真に特徴的なものを見落としてしまう。このエピグラフで真に特徴的なもの、それは、卵巣という身体の一器官(organ)が、市電という都市の一機関(organ)と結びつけられている点である。この点に注目して彼の作品群を読むと、身体を都市のように描く場面、また都市を身体のように描く場面が多いことに気づく。では、なぜミラーは身体と都市を結びつけて描くのか。
 今発表は、ミラーの実質的な処女作である『北回帰線』(1934年)を取りあげ、ミラーにおける身体と都市の結びつきの問題に対して、彼が二つの場所を同じ流れの場として描こうとしている、という解釈を提示する。もともと身体と都市は、近代以降、隅々にまで名称=住所が割り振られ、秩序のもとに編成されること(organization)によって、権力が強力に働きかける場所として今なおあり続けている。ミラーのテクストから立ち上がってくるのは、そうした名称=住所の秩序化による区分線を解体し、固定的に分節化された場所を流動化させようとする衝動である。その流れの場に、あたかも細胞分裂を始める卵(らん)のように、さまざまなものに生成する可能性を見出して力強く肯定すること、ミラーの最初の作品である『北回帰線』は、後続の作品群を貫く身体と都市の問題に、そうした衝動を胚胎させたテクストとしてある。



   

      報告者: 上西 哲雄 (東京工業大学)



 ヘンリー・ミラー (Henry Miller) が1934年に初めて世に問うた長編小説『北回帰線』 (Tropic of Cancer) はこれまでの研究では、身体的な側面、とりわけ性的な側面か、都市の扱い方という側面から論じるものが大多数を占めていた。それに対して今回の発表は、身体を都市の比喩で、都市を身体の比喩で描くという風に、両者を結びつける描写が多いことに着目し、身体と都市のむすびつけ方からミラーの価値観のようなものを読み取る試みである。
 『北回帰線』は、緩やかに物語の時間こそ進行するものの、断片的なエピソード、語り手の感想や主張が、脈略無く寄せ集められており、伝統的な物語の構成を前提に小説を吟味する者にとって、論じるのが容易ではない。今回の発表のように、テキストに散見される特定の描写を拾い出し、それらの共通するスタイルからテキストの向こうに広がる価値観を浮き彫りにするという戦略は、こうしたスタイルを乗り越えて分析するひとつの方法と言える。
 発表者が『北回帰線』のテキストにおいて身体と都市の描写に共通することとして強調するのは、身体と都市が相互に比喩として繰り返し使われると同時に、いずれの描写においても「流れる」ということを肯定的に表現している点である。発表者はそこに、人間や都市とそれを取り巻く世界を、様々なレベルとアングルで合理的に分節して整理し管理しようとする19世紀以来の動きを解体する、流動的なものの称揚を、『北回帰線』のテキストに読み込んでいく。都市については、19世紀パリの都市計画における一望監視システム、身体についてはミシェル・フーコーによる近代医学の身体に対する分類学的な視点の指摘を引き合いに出し、近代的知が持つ、曖昧なものや流動的なものを排除する指向が背景にあることが明かされていく。こうした背景説明の後に、テキストからの的確な引用の積み重ねによって、区分を乗り越えること、「流れる」ことに対する強い肯定がテキストに通低することが示され、また語り手自身が常に移動を繰り返すことが指摘されて聴衆は、そうしたテキストから読み取れる整理や管理の否定が、伝統的な小説の構成を否定するこのテキストそれ自体の難解さと一貫していることに気づかされることになる。
 聴衆からは活発な意見や質問が多数寄せられ、活発な議論となった。大まかに言うと、ひとつは発表者による『北回帰線』の読みについて、より詳しい説明を求めるものがあり、発表者の読みが様々な問題に広がる可能性のあることが明らかになった。「流れる」ということと鉄道の関係、当人物の人間関係と外国語の問題などなど。また、この特異な作品を文学史の中でどのように位置づけるのかについても、発表者の意見を促すと共に聴衆の間で様々な意見が交換された。ロスト・ジェネレーション、ビート・ジェネレーション、ユダヤ文学との関係などなど。
 発表が40分ほど、その後の質疑が1時間強という中で、時間を忘れる建設的な議論が交わされた充実の談話会であった。

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