第157 回研究談話会 平成24年2月18 日・札幌市立大学
南北戦争ものにおける持続可能性の表象――Robert Penn Warren と Faulkner
発表者: 松岡 信哉 (龍谷大学)
要旨
エコクリティシズムは90年代前半から急速に発展を遂げたが、これは地球温暖化や資源の枯渇といった現下の環境問題への意識の高まりと並行している。このことから、エコクリティシズムが暗黙のうちに前提しているものに、自然と人間との持続可能な関係を希求する心があるといっても言い過ぎではなかろう。本発表では、文学作品における持続可能性の表象を論じる。この持続可能性の表象を検証する手だてとして、われわれの日常生活の持続を断ち切る「戦争」に逆説的に着目してみたい。
Robert Penn Warren の Wilderness は、自由を求めてアメリカ南北戦争に参加しようとするユダヤ系ドイツ人 Adam Rosenzweig の物語である。Adam の父もまた革命に奉じた過去を持つが、ユダヤ人であるがゆえに革命家同志から疎外される。革命詩の中でドイツの山々の美を讃えた Adam の父は、他のドイツ人からあの山の美はユダヤ人であるお前のものではない、と弾劾される。息子の Adam もまた疎外された存在であり、彼の障害のある足がそのことの表示となっている。アフリカ民話に普遍的に見られる形象エシュエレグバラは片足を引きずった神であり、自然と人間の中間領域に属する存在として Henry Louis Gates Jr. によって定義されている。本論では、エシュ= Adam が南北戦争と取り持つ関係をたどってゆく。
William Faulkner の Absalom Absalom! では、ウェストヴァージニアの貧乏白人出身の Thomas Sutpen は、南部社会の中でプランターの位置にまで成り上がる。彼の出世物語の中で、ハイチで獲得した黒人奴隷は重要な位置を占めている。アメリカ社会においては動産たる奴隷を所有できるのは富める者に限られていたが、ハイチでは貧乏白人たる Sutpen にもそのチャンスがあった。Sutpen の奴隷は wild かつ untamed と形容されているが、非アメリカ的コードを駆使しながら、アメリカの外部である自然(ハイチ)から獲得した威力を援用して南部社会でのしあがる彼は、南部的価値とは無縁の流動性を体現している。南部社会に地歩を固めた Sutpen は指導者層として南北戦争に参加し、奴隷含めた財産を失い、彼のダイナスティを存続させることにも失敗する。Sutpen は奴隷なしでプランテーションを再興するという不可能事を彼独自のベンチャーマインドで成し遂げようと邁進するが、その非倫理性によってしっぺ返しを食らい自滅する。Sutpen は南部社会における富の持続可能性と流動性の接合点を示し、南北戦争は彼の人生の転換点を形成している。このことを例証したい。
報告者: 本村 浩二 (関東学院大学)
当初、松岡氏には二つの狙いがあったようである。一つは現実的な環境問題への対応。もう一つは具体的な文学テキストの読解。テキストの読解だけでも充分に立派な研究発表になりうるはずである。にもかかわらず、あえてその読みをテキストの外部にある喫緊の社会問題に接続することを、松岡氏はどうやら最終的な目標にしていたようである。しかしながら、今回の発表は、時間的な制約により、前半部における文学テキストの実学的効果──すなわち、「持続発展教育(ESD)」への貢献──の箇所を大幅に削除し、後半部の、テキストの具体的な考察を中心に話しが進められた。
情報量が多いだけではなく、刺激的で示唆に富む、松岡氏の発表を数行の言葉で要約するのは容易なことではない。そのことを踏まえたうえで、なかば強引にまとめ上げるなら、おそらく次のように言えるだろう。本発表は「自由と自然の関係」という軸に沿って、Wilderness におけるユダヤ人の若者 Adam、All the King's Men の Cass、Absalom, Absalom! の Sutpen といったキャラクターたちの個々人の物語を取り上げ、彼らの特性や性向をエコロジカルな観点から明らかにしようとする試みであったと。
とはいえ、この三つのテキストは均等に、つまり同程度に、考察されたわけではない。考察の時間がもっとも多く費やされたのは、最初のテキスト Wilderness である。まるで発表者側のこの事情に合わせるかのように、聴衆から寄せられた質問や意見も全体的に Wilderness の物語内容に関するものが多かった気がする。たとえば、作者 Warren が Adam をユダヤ人に設定したことの意義は? Adam の父親の職業は? 北軍におけるドイツ人傭兵の存在が歴史的事実と一致するか? Adam の物語はアメリカ文学によくある「イニシエーション・ストーリー」の一つとして読むことができるか? Adam と Mose の個人的関係がアメリカ社会におけるユダヤ人と黒人の一般的関係を反復している可能性はあるか? Mose の名前の起源は? などなど。
もちろん、Wilderness 以外のテキストに関しての議論がまったく無かったというわけではない。Absalom, Absalom! に関して言えば、Sutpen と彼がハイチから連れてくる黒人との関係(発表者はそれを「革命家同志」や「友愛」といった用語で表現した)や、Sutpen の “innocence” の背後には非南部的な habitus (これはピエール・ブルデューの概念で、環境と主体の抜き差しならない相互依存性を指す)が指摘できる点などについて、さまざまな意見交換が行われた。
とにかく、あっという間の二時間であった。おそらく松岡氏は、この談話会で話した内容を題材にして、今後研究論文を最低二本は書くことができるだろう。繰り返しになるが、それほど分量の多い、密度の濃い、研究発表であった。