第20回 日本アメリカ文学会北海道支部大会 プログラム

▼ 日時 : 2010年12月18日(土)午後1時45分
 ▼ 場所 : 北星学園大学 (A館2階 A221教室)
    札幌市厚別区大谷地西2丁目3番1号
        (地下鉄東西線「大谷地」駅下車、1番出口より徒歩5分)


   

■ 第1部 シンポジウム (午後1時45分〜4時45分)


  

タイトル: ロサンゼルスの文学的表象

     

司会

     

  伊藤   章 (北星学園大学)

     

講師

     

  本城 誠二 (北海学園大学)  Frantic Runner and What Makes Sammy Run?


    

  藤井   光 (同志社大学)   The Land of the Freeways: ロサンゼルスとロード・ナラティヴ


   

  加藤 隆治 (北海道薬科大学) Aztlan : We Didn't Cross the Border. The Border Crossed Us


    

  伊藤   章 (北星学園大学)  The Day of the LocustAsk the Dust におけるロサンゼルス



   

■ 第2部 特別講演 (午後5時〜6時)


    演題: 『ライ麦畑』とクルマ――ジャグァー、キャディラック、イエロー・キャブ、そして「回転木馬」

    講師: 丹羽 隆昭 (関西外国語大学)

    司会: 上西 哲雄 (東京工業大学)



 * 講演・シンポジウムの要旨については下記を参照してください。
 * 参加は無料、事前の申し込みも不要です。学生の参加も歓迎します。
 * 大会後の懇親会(午後6時10分〜7時40分、大学会館3階大学生協食堂:会費四千円)を開催します。
   出席される方は、12月16日(火)正午までに、世話役の伊藤章まで連絡をお願いします。
        メールアドレス akirato@hokusei.ac.jp. 電話 (011) 891-2731 (内線1510)(留守電付き)

主 催: 日本アメリカ文学会北海道支部      後 援: 北星学園大学

連絡先: 北海道支部事務局
     〒062-8605 札幌市豊平区旭町4丁目 1-40
                 北海学園大学人文学部(本城 誠二研究室)
     電話:(011) 841-1161(内線2364) メール:honjo@elsa.hokkai-s-u..ac.jp




   

 シンポジウム・講演要旨




   

シンポジウム:ロサンゼルスの文学的表象(Literary Los Angeles)


     

要旨


    1781年にスペイン人植民者による小さな村落として出現したロサンゼルス(以下LAと略)は、1848年に合衆国領になるものの、人口はわずか1600人程度であった。発展しはじめるのは、1876年に大陸横断鉄道がLAに伸びて以降のことである。広大な土地を入手した鉄道会社が、御用作家を動員して “Good Life, Easy Living” の地として南カリフォルニアの売り込みを全国的に展開したのである。以後も Booster (宣伝屋)たちは、「陽光の地」「常夏の国」「アメリカの地中海」などと売り込みつづける。1920年代にハリウッドが映画産業の中心地になるにつれ、多くの小説家が移住し、映画の脚本を書きながら、ハリウッドやLAを舞台とする小説を著すようになる。こうして、LA小説と呼ぶべきジャンルが生まれる。
 1930年代以降しばらく、文学のなかのLAは「アメリカン・ノワール」の首都となる。LAをアメリカン・ドリームの地、生まれ変わって新しく出発するための舞台、要するにエデンかユートピア的な空間と見なす「陽光派」に対して、「暗黒派」は、都市の闇の領域を渉猟し、そこに潜む腐敗と悪徳、暴力をあばこうとするのである。娯楽性の濃い小説においてはずっと以前より、LAはなんらかの大惨事(原爆や地震、砂嵐、公害、伝染病、第3世界からの移民、エイリアンなど)によって、何度も何度も破壊されてきた。1980年代以降はとみに、終末を迎えつつある都市として、あるいは終末後の世界として描かれたり、なんらかの大惨事によって破壊されるか、すでに破壊されている都市として描かれたりするようになった。地元作家による小説のなかには、荒廃したLAでそれでもなお、終末や大惨事を生き延びる人間を肯定するような作品も生まれている。
 LAはアメリカ人の想像力のなかで、ユートピアとディストピア、天国と地獄、光と闇、というように対極的にイメージされてきた。現代都市のすべての問題を凝縮した場所、アメリカの未来を先取りした場所でもあることから、アメリカの楽天的あるいは、悲観的未来図を読み解く場所として捉えられてもいる。このシンポジウムでは、LAという場所が文学にどのような影響を及ぼしているのか、LAはどのような場所として描かれているのか、またLAに生きる人々はどのような人々として描かれているのか、そもそもLAとはいったいどういう空間なのか、論ずることになる。

     

Frantic Runner and What Makes Sammy Run?

      本城 誠二 (北海学園大学)


  1941年に発表された What Makes Sammy Run? では、ニューヨークの新聞社の給仕からハリウッドの脚本家・製作者に出世する主人公サミー・グリックの人を踏み台にするそのエゴイスト振りがリアルにまた戯画的に誇張して描かれる。その “hero-villain-victim” としてのキャラクターは、サミーがピカロ的な主人公であり、また “frantic runner” として運命づけられた犠牲者でもある事を表している。
 作者の Bud Shulberg は、パラマウント映画の撮影所長兼製作部長の息子として、文字通りハリウッドで育った。しかしシュルバーグが『何がサミーを走らせるのか?』において、その熟知しているハリウッドの内部を小説に描いた時に、彼はハリウッドから裏切り者と断罪される事になった。だがこの作品でシュルバーグが書こうとしたのは単なる内幕ものなどではなく、他のハリウッドの tycoon のようにユダヤの伝統からの脱出をはかる少年のオブセッションであり、現代のホレイショー・アルジャーによるアメリカの夢の実現とその蹉跌の物語でもあった。今回の発表では、その原型となった2編の短編をサブテクストとしつつ、『何がサミーを走らせるのか?』における「走り続ける事」へのオブセッションの意味とハリウッド(またはLA)との関係を分析する。

     

The Land of the Freeways: ロサンゼルスとロード・ナラティヴ

      藤井  光 (同志社大学)


  本発表では、ロサンゼルスという都市と「ロード・ナラティヴ」との関係を考察することを試みる。Jack Kerouac による On the Road (1957) が典型的に示しているように、東から西への移動を原型とするロード・ナラティヴは、アメリカのナショナル・アイデンティティを形成する一つの重要な要素であり続けてきた。そのような「ロード」体験において、アメリカ大陸の西端に位置するロサンゼルスは、旅を続けるうえで忌避すべき場所として現れる。ハリウッドと文学との愛憎関係も相まって、On the Road におけるアメリカ神話は、ロサンゼルスを敵視することによって成立しているとも言える。
 その一方で、ロサンゼルスにはフリーウェイという道が存在する。アメリカ的「ロード」とフリーウェイとの出会いを刻み込んでいる文学テクストとしては、Joan Didion の Play It As It Lays (1970) や、Richard Powers による Operation Wandering Soul (1993) がある。Didion におけるフリーウェイとは、アメリカン・ドリームの迷走の空間として、Powers においては、「アメリカ」や「フロンティア・スピリット」そのものが再定義される空間としてのフリーウェイが提示される。
 これらのテクストが示しているのは、「非アメリカ的」な場としてのロサンゼルス/フリーウェイが、独自のアメリカ像を紡ぎ出す舞台としてとらえ直されるという可能性である。その意味で、アメリカそのものを一種の異界としてとらえる、多和田葉子の『アメリカ 非道の大陸』もまた、重要なテクストとして浮上してくることになるだろう。それぞれのテクストに現れる「反復」のモチーフなどを取り上げつつ、ロサンゼルスのフリーウェイから立ち上がる「アメリカ」の姿を検証したい。

     

Aztlan : We Didn't Cross the Border. The Border Crossed Us.

      加藤 隆治 (北海道薬科大学)


 現在、ロサンゼルスに占めるヒスパニック系の割合は約半数と言われ、その大半がメキシコ系である。彼らは、様々な影響を受けながら、今日まで独自の文化をはぐくんできている。今回の発表では音楽、チカーノ・ミュージックに焦点を当て、ロサンゼルスとチカーノの相互の影響関係を探っていきたい。
 チカーノたちの生活の中心となるのが、バリオと呼ばれる居住区である。この「ホームランド」とも言うべきバリオがあるおかげで、彼らにとってのロサンゼルスは非ヒスパニック系のアーティストによるロサンゼルスがテーマの歌と印象が大きく異なる。例えば、The Eagles の “Hotel California” や Randy Newman の “I Love LA” (1983) などの例を持ち出すまでもなく、非ヒスパニック系歌手が歌うロサンゼルスは光と闇を体現し、さらに、彼らのロスに対する愛憎が描かれることが多い。一方、Los Lobos や Quetzal などイーストLA出身のチカーノ系バンドが歌うバリオは「安息」や「希望」を与えてくれる場として描かれることが多い。これはバリオが安定した暮らしを提供してくれる場であるというよりは、チカーノの想像上の精神的故郷である「アストラン」と同様の役割がバリオには付与されているからではないのか。
 さらに、本発表では、バリオでの音楽以外の芸術活動やバリオの果たしてきた役割などにも触れていきたい。

    

The Day of the Locust (1939) と Ask the Dust (1939) におけるロサンゼルス

      伊藤  章 (北星学園大学)


 1939年はアメリカ文学史上「奇跡の年」であった。しかもロサンゼルス小説の代表作とも呼ぶべき小説が複数、出版されている。そのうち、ユダヤ系小説家 Nathanael West (1903-40) の The Day of the Locust とイタリア系小説家 John Fante (1909-83) の Ask the Dust をとりあげ、LAはどのような場所として描かれているのか、そこに生きる人々はどのような人々として描かれているのか、そもそもLAとはいったいどういう空間としてイメージされているのか、整理してみよう。あわせて、この2作のLA表象にどのような類似性と相違があるのか、相違があるとして、それはなぜなのか、比較することにしよう。最後に(時間があれば)、LA小説としてどう評価すべきか、評価の問題にまで踏みこみたい。
 映画会社に勤める『イナゴの日』の主人公トッドは、ハリウッドでさまざまな人物たちに会う。ハリウッドには、まるで仮装服を着て、いつも演技をしているような地元っ子と、彼らを眺める中西部からやってきたばかりの中高年層、2種類の人々がいることに気づく。トッドは後者の人々、カリフォルニアに死ぬためにやってきた人々のことを知りたいと思う。また、ハリウッドの奇を衒った、世界中の建築様式を模した、さまざまなスタイルの(しかし薄っぺらな)建物をみるたびになぜなのだろうと思う。そしてついに、画家志望のトッドは、「ロサンゼルスの炎上」という世の終わりを暗示するような大作を書きあげる。その絵とそっくりな群衆シーンが、エンディングで眼前に展開するのを見る。「アメリカン・ドリームの墓場」としてのLAイメージが浮かびあがる。
 『塵に訊け』の作家志望の主人公バンディーニも、カリフォルニアに死ぬためにやってきた人々と会う。だが、彼はトッドとは違って彼らを冷たく突き放さない。彼らは自分の同胞であり、新しいカリフォルニア人だと思う。自分の暮らしているダウンタウンをよく散策するので、彼の眼差しは、メキシコ系やフィリピン系など、もっと不遇なマイノリティにも向けられる。ファンテはウェストと比べると、人種的にも民族的にもはるかに多様なLAを描いたと言える。『イナゴの日』のエンディングは黙示的な、もしくはディストピア(絶望郷)的なヴィジョンを想起させたが、ファンテにとって、LAはほかの都市とそう変わらない場所である。「砂漠に咲く悲しい花」かもしれないが、それでも憧憬の対象であり、若き主人公の夢を叶えてくれそうな空間でもある。



講演:『ライ麦畑』とクルマ――ジャグァー、キャディラック、イエロー・キャブ、そして「回転木馬」


 

要旨


  サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(1951)を、そこに登場するいろいろなクルマ(自動車)に着目し、それらが作品の意味とどう関わっているかを考察する。
 小説におけるクルマは決して単なる風景の一部ではない。この作品に投入されたクルマも、主人公ホールデンをはじめ、彼と関わる人物たちの人となり、さらには物語の背景となった時空を表象する機能を担っている。クルマは、それに接する人間たちや時代の本性まで炙り出す試金石のごときであり、ある種の必然性を持って作中に顔を出すとすら言えるのである。
 今年一月末に他界したサリンジャーを偲び、この二十世紀の名作を、クルマという観点から見直してみよう。

講師紹介


    丹羽 隆昭 (にわ たかあき)
         関西外国語大学外国語学部教授、文学博士
         専門領域は、ホーソーンを中心とする19世紀アメリカ文学

 著書
  『恐怖の自画像――ホーソーンと「許されざる罪」』(英宝社2000年)
  『クルマが語る人間模様――二十世紀アメリカ古典小説再訪』(開文社出版2007年)
  『アメリカ文学研究のニュー・フロンティア』(共著、南雲堂2009年)
  『アメリカ民主主義の過去と現在』(共著、ミネルヴァ書房 2008年)
  『メディアと文学が表象するアメリカ』(共著、英宝社 2009年)など
 訳書
  『英米文学用語辞典』(ニューカレント・インターナショナル、1990年)
  『リムーヴァルズ――先住 民と二十世紀アメリカ作家たち』(監訳、開文社出版1998年)
  『蜘蛛の呪縛――ホーソーンとその親族』(共訳、開文社出版 2001年)など


The Hokkaido American Literature Society