ヘミングウェイの短編作品にみる森と先住民
はじめに
今回のワークショップは、これまでのものとは形式を変えて、日本ヘミングウェイ協会が実施しているような「ワーク・イン・プログレス」形式を採用します。同協会の「ワーク・イン・プログレス」とは「未完の研究、頓挫している研究、未解決の問題などなど、未完成を未完成のまま提示して、みんなで問題を共有し議論する」ものであり、発表者の議論を深めたり、研究を発展させることに資するものです。
当日はまず山口さんに研究途上にある議論を披露していただきます。そしてコメンテータからコメント、また内容についての質問をいただき、発表者の応答を通してフロアのみなさんにも論旨の内容をしっかり把握していただきます。その上で山口さんの議論をより良いものにする(議論の広がりや深みを出す)ためにはどうすればよいかについて、教育的な立場からの建設的なコメントや今後の研究に役立つ情報を多数提供していただき、活発な討論の場になるようにと考えております。(本荘 忠大)
今回の発表では、短編集 In Our Time (1925) から “Indian Camp” および “The Doctor and the Doctor's Wife” を、また Men Without Women (1927) から “Ten Indians” を取り上げ、Hemingway 短編作品における森および先住民が Nick にとってイニシエーションの場として機能していることを説明し、幼い Nick が森および先住民から受けた影響について考察した。
北ミシガンの森で先住民と共に夏を過ごした作者 Hemingway の伝記的な要素を多く反映させたキャラクターである Nick Adams は、作者同様に幼少期を森の中で過ごし、そこで生と死、人種間や男女間の軋轢について学ぶこととなった。
また、作品に描かれる森は、癒しの場であり、男性性を回復させる場であり、さらには避難所という「再生」の場として機能している。Nick のその後の人生においても、森および自然は戦争などで傷ついた彼を癒す場となっており、幼少期の森での体験はその後の彼の人生においても非常に重要であったと言える。
さらに、森での経験とその森に住む先住民と過ごした日々は、Nick に先住民という理想の英雄像を与えた。彼はその後、先住民という理想像への一体化を目指すこととなる。このように、森および先住民は Nick の人格形成に多大な影響を与えたと言える。
今回のワークショップでは、本荘忠大先生がコーディネータを担当され、山口郁恵さんがヘミングウェイの短編作品における森と先住民についての研究を紹介されました。私はヘミングウェイ研究を専門としておりませんので、大変恐縮ながら良い勉強の機会と考えて参加させていただくことにいたしました。発表者の山口郁恵さんはワークショップまでの一ヶ月の間に、アイディアと原稿を数回提出され、入念に準備をされました。コーディネータの本荘先生は、その都度修正のアドバイスを行うことや参考にすべき文献等を示されるなどの懇切丁寧な指導をされました。
発表においては、山口郁恵さんは1925年に出版された短編集であるアメリカ版の In Our Time から2編、また、1927年に出版された Men Without Women から1編の短編を取り上げ、これらの作品における主人公 Nick Adams の癒しと学習の場としての「森」の役割、および Nick Adams が「先住民」から受けた人格形成に対する影響について説明されました。今回は研究途上にある議論を発表して、参加者からの意見を求める「ワーク・イン・プログレス」形式を取るということでしたが、発表は、事前に本荘先生から示していただいた先行研究などを踏まえて議論を進められ、構成も練られており、完成度が高い内容になっていました。
今回扱われた3作品においては、発表者が検証されたように「森」は癒しと学習の場となり、小説の重要な場所として位置付けられていると思われました。一方で、Nick を取り巻く人間関係については、先住民も含めて「幻滅」に特徴づけられているように感じられました。Nick は父、母、Garner 夫妻や Dick Boulton、Prudence との関わりに見られ、現実を知り、幻想を打ち砕かれるような経験をしています。そして、対比的に森はロマンティックな場所として捉えられ、癒しと逃避の場となっているように思います。Nick が周囲の誰とも同一化できないということを知る経験をして成長し、また、発表において議論されたように、作家と重ね合わせて考えると、「先住民」などをモデルとしたヒーロー像を自身で構築していく結果に繋がったのかもしれないと思いました。
発表を踏まえ、二つの主題である「森」と「先住民」について私は次のような質問いたしました。まず、発表者がこれまで研究されてきた Flannery O'Connor の描く「森」と Hemingway の作品における「森」を比較して、その特徴はなにか。そして、「先住民」については、この三つの短編作品に限らず、Hemingway および Nick が先住民を「英雄」としたことや「先住民化」したことがさらに示されると、より説得力があるのではないかと思うがどうか。質問については、発表者から回答をいただいたうえに、本荘先生からは伝記的情報や歴史背景などの幅広い知見に基づいた説明が加えられ議論を深めていただきました。また、フロアの皆さんからもたくさんの意見があり、活発な議論が行われました。コメンテータとして出席した私としても、Hemingway の短編作品についてさまざまな観点からの読みの可能性があることや、「森」と「先住民」の描写に関わる議論の広がりと深さについて知ることができました。こうした貴重な機会を持つことができたことに、改めて心から感謝しております。
今回のワークショップは、発表者が北海道大学大学院生の山口郁恵さんお一人であったため、何らかのかたちで山口さんの今後の研究に役立つ機会にしたいと考えました。そこで南部女性作家である Flannery O'Connor の作品における「森」について研究されている山口さんに、地域性などで対照的な北部男性作家である Hemingway の作品に見られる「森」の表象についての議論を作成していただき、コーディネータの本荘およびコメンテータの渡部先生を中心に、フロアの方々に教育的な立場からの建設的なコメントや今後の山口さんの研究に役立つ情報を提供していただくことをお願いしました。
発表者の山口さんは、当日までの短い準備期間の中で、熱心に先行研究を調べて、ほぼひとつの研究発表とも思える完成度の高い原稿を用意されました。その後、渡部先生からコメントおよび内容に関する質問をいただき、山口さんからの応答がありました。休憩をはさんで、フロアから山口さんの今後の研究に役立つさまざまな意見やアドヴァイスを数多くいただきました。
当日の議論においては O'Connor が描く「森」と Hemingway が描く「森」の対照性とその特徴がかなり明確なかたちで浮き彫りにされたのみならず、それが、つまりはアメリカ文学における「森」というより大きな研究テーマへとつながる可能性をもつものであることが改めて確認されました。非常に有意義なワークショップであったと思います。コーディネータとしても多くのことを学ぶ機会となりました。発表者をはじめ皆さんに心より感謝申し上げます。
山口さん、渡部さん、そして本荘さんのまとめがあるので、ここではフロアとの質疑で印象に残った点について少し報告させて頂きます。
まず山口さんの発表にあったイニシエーションの場としての森には、羽村さんが指摘されましたが、ホーソーンの「ヤング・グッドマン・ブラウン」に表出されているように闇の部分があると思います。つまり森には、動植物の生きる場として、そして狩猟をしたり食べ物を採取したりする人間にとって豊穣と恵みとしての自然と、獰猛な野獣が闊歩し人間の支配を超えた荒々しい自然の両方があると思います。
またフロアからの発言にもあったように、イニシエーションという概念が、何か大きな経験に対して一般に少々安易に使われすぎている嫌いがあるかも知れません。さらに森自体もその文学史的・文化史的位置づけと、表象や意味の変遷も含めて理解した上で使用する必要があるのでしょう。
伊藤さんが指摘されたように、「インディアン・キャンプ」がすでに文明に取り込まれた場として伐採所の一部になっていて本当のインディアンのキャンプではないという点も僕は知らなかったので新鮮な情報でした。とするとヘミングウェイは、文明に近い疑似的な自然の中での森を描いていたんですね。作家本人はこの辺りをどのように考えていたのか気になります。考えてみれば「キリマンジャロの雪」のハリーも、「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」のフランシスも自然のそばでハンティングというゲームをしていただけじゃないかなとも考えられます。少なくともナッティ・バンポーのように自然の中で先住民と暮らすような事はない。でもそのように偽物の自然の中でしか生きられない近代人を描いている事についてヘミングウェイはある程度自覚的であったと推測します。その辺の事を山口さんも理解しているからこそ今村楯夫先生の文を引用をしたのだろうと思いました。
コーディネータの本荘さんはフロアからの質問や意見を真摯に受け止め、さらに出産の医療と文化史的な変遷についての指摘など、ヘミングウェイ研究者としての学識と知見に裏付けられた回答をされて、参加者としては本当に参考になりました。
今回はコーディネータの本荘さんから発表者が山口さん一人という事でワーク・オン・プログレスという形で進めてはどうかという提案があり、少し衣替えをして実現したワークショップでしたが、発表者を中心とする誠意溢れる熱心なスタッフと、参加者の真剣な議論によって真に有意義な集まりになりました。あらためて皆さんにお礼を申し上げます。