第126回研究談話会  平成20年1月26日・藤女子大学

   

The Cider House Rules における利己的ミームの支配とマインド・ウイルス

   

      発表者: 赤間 荘太 (北海道大学大学院)


 

要旨


  Richard Dawkins が『利己的遺伝子』の中で提唱した第二の自己複製子であるミームの概念を用いて John Irving の The Cider House Rules を分析する。遺伝子が自らを次世代にコピーするために生物個体を容器として利用するのと同様に、ミームも人類が他者の模倣を始めたときから脳に寄生して繁殖を続けてきた。そして、ミームはやがて無機物によって構成される地球において遺伝子が作り上げたヒトの脳を媒体とし、文学という仮想世界を創りあげている。ミームの視点から見ると、文学作品は有効なミームの容器であり、それらを効果的に繁殖させる戦略を用いるマインド・ウイルスとして機能するために、その強力な伝達手段である。The Cider House Rules は、Dr. Larch が擬似的な遺伝方法として代理息子である Homer の脳に対して自らのミームを寄生・繁殖させるだけではなく、その過程においてこの物語は包含するミームを様々な戦略により効果的に読者の脳にも寄生・繁殖させている。本発表の目的は、文学作品はミームが創りあげた自己保存および伝達の手段であるという前提をもとに作品を分析することであり、文学にミーム論を適用して研究することの有効性を The Cider House Rules の解釈を例として示すことである。

(作品の梗概)




   

      報告者: 本城 誠二 (北海学園大学)


 

報告


  今回の発表は John Irving の The Cider House Rules を『利己的な遺伝子』で有名な Richard Dawkins の「ミーム」という文化的遺伝子の概念を応用して分析したものだった。先ずミームについての説明があり、それを元に作品を分析し、さらにミームと文学の関係にも言及した。
 ミームとは、模倣によって増殖するものであり、脳内にある情報の基本単位とされる。ミームはある人間の個体に寄生したのち、会話・出版物・インターネットなどの媒体を通してヒトの脳から脳へと伝えられる。模倣によって伝えられるものは殆どミームと考えられるが、例としては言語、宗教、伝統、技術、思想などがある。ミームの視点から見ると、文化は人間が作りあげたものではなく、複製・進化するためにミーム自身が作り上げたものである。
 このようなミームの視点から The Cider House Rules を分析すると、セント・クラウズ孤児院の孤児 Homer に対して代理的な父親として振る舞う院長 Dr. Larch は、Homer を彼の産婦人科技術のミームおよび、中絶賛成派ミームを受け取る利己的ミームの容器としている。Homer は中絶に来た Wally と Candy のカップルと友人になり、孤児院から外の世界に出て行く。Homer がミームの容器として優れている事は、孤児院で Dr. Larch の医学知識や技術を驚くべきはやさで学びとるだけではなく、リンゴ栽培やエンジニアリングの知識もすぐに覚えてしまう事からも分かる。最終的に Homer は Dr. Larch の中絶賛成派ミームを受け容れて、彼のコピーになる。しかも Dr. Larch が作り上げたと Dr. Stone いう架空の存在になるので、Homer の主体は実際には他者によって占められている。
 さらに赤間氏は読者の脳に寄生する文学的ミームに論を進める。The Cider House Rules はミーム戦略をとって読者の脳にその中絶賛成派ミームを寄生させる。しかし文学はミームが自己の保存・複製のために作り上げたものであるので、ミーム戦略は作者である John Irving が意図したものではないとする。
 以上、赤間氏の発表を紹介してきたが、氏の分析はレジュメの構成と内容や語り口も含めて精緻で洗練されたものであった。ただミームという概念を文学研究に応用する試みが画期的だとしても、その前提が果たして正しいのかどうか疑問が残る。例えば、世代から世代への模倣や伝承など、今までなら親子関係(血縁、代理的もしくは擬似的な関係も含む)として理解してきたものを何故ミームという概念を使って解釈しなければならないのだろうか。また紹介の最後にふれたように創作の主体をミームと考えていいのだろうか。だとすると文学を作り上げる主体はミームで、作家は単なるその媒体という事になるのだろうか。斬新なアイデアを含む刺激的な発表だったが、指摘した幾つかの問題の解決も含めて氏の今後の研鑽に期待したい。

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